中国明代の文人・文徴明と研究者の周道振。5世紀を隔てた二人三脚=辻 康吾
中国 在野の文徴明研究者の遺著=辻康吾
中国・明代の書画で四大家に数えられる文徴明は、日本でも愛好家が多く、東京国立博物館では2020年に同館収蔵品を中心に生誕550年を記念する企画展が開かれている。その人柄についてだが、古来美術品の名作には贋作(がんさく)がつきもので、文徴明の作品も生前から人気が高く贋作を売るものがいたが、本人は鷹揚(おうよう)に「それで食べられるものがいるなら」と笑ってとがめ立てしなかったという。
何度も科挙を受験しながらも合格せず、知人の口利きで就いた北京での官職も役場の堅苦しさに長続きせず、故郷の蘇州に帰り、在野のまま90歳の高齢まで呉派文人画の名手として書画の道を極めた。
この文徴明研究は以前から盛んではあったが、なお語りつくせぬものがあるようだ。
在野の文徴明研究の大家として知られる周道振の遺著である『文徴明伝』(上海古籍出版社、2021年)は、文関係の史料を丹念に見直すことで、これまでとはまた違った文の姿を描いたものとして評判になっている。
まだ若かった時のこと。文徴明は父の死去に当たり、墓碑銘を依頼した父の旧友と親の名誉にかかわる部分でぶつかり、相手を激怒させながらも結局書き直しを承知させたという。文徴明は元軍に抵抗し、最後に獄死して「忠臣の鑑(かがみ)」とされる文天祥の子孫とも言われ、世捨て人のようで意外と気骨のある人物であったようだ。
周道振は、文徴明の年譜も編さんしており、世間に広く知られたその人物像がいかなるものかは当然知り尽くしている。そのうえでなお、大家の人物像を新たに問い直す作業には、老齢を迎えて相当な根気が必要だったのではと想像してしまう。聞けば周道振は、10代のころから書道の稽古(けいこ)には文徴明の書の臨書を繰り返していたという。
元代から明代の拓本鑑定でも高い評価を得ながらも、社会的には中学教師などの職を転々とし、一時は農村に追放されながらも研究を続け、2007年に天寿をまっとうしている。政治的激動の中、周道振と文徴明は、5世紀もの時を隔てて、二人三脚を続けていたように思われてならない。
(辻康吾・元獨協大学教授)
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