映画「帆花」公開 國友勇吾 映画監督/24
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生後すぐ「脳死に近い状態」と告げられた少女と家族の生活を描いたドキュメンタリー映画「帆花」が公開されている。監督の國友勇吾さんが撮影を終えたのは2014年のこと。しかし、それから完成までに7年を要した。
(聞き手=井上志津・ライター)
「脳死に近い状態でも、少女の『生』を確かに感じた」
「養護学校の教師をしていた母が重度障害の子に笑顔で接していた。その理由が映画を撮って分かった」
── ドキュメンタリー映画「帆花(ほのか)」を撮影しようと思ったきっかけは何ですか。
國友 在学していた日本映画学校(現・日本映画大学)の卒業制作用に題材を探している時、息子が脳死状態になった体験を持つ、ノンフィクション作家の柳田邦男さんのインタビュー映像を見ました。それまで僕は、特に深く考えずに臓器移植意思表示カードにマルを付けていたのですが、脳死は本当に死といえるのかなと疑問に思い、脳死をめぐるドキュメンタリーを撮りたいと考えました。(情熱人)
そんな時、仮死状態で生まれた帆花ちゃんの母、西村理佐さんが書いたブログをまとめた本『長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』(エンターブレイン)を読み、帆花ちゃんとご家族の暮らしを撮影したいと思いました。帆花ちゃんの命に誠実に向き合う西村さん夫妻の姿勢に感動したんです。結局、「帆花」の企画は時間もかかりそうなので取り下げ、卒業制作は別の人の監督作品に参加しましたが、一方で僕は1人で「帆花」を撮り始めました。
── 初めて帆花ちゃんに会った時の印象は?
國友 本を読んで、状態を把握しているつもりでしたが、実際に会って自分がどう感じるかについては正直、不安でした。僕の母が2007年に亡くなった後、遺品整理でパソコンに残っていた動画を見たことがあるんです。母は養護学校の教師をしていましたが、その映像には帆花ちゃんに近い重度の障害を持った男の子が写っていて、母が笑顔で接していました。それを見た時、僕は「この子は生きていて楽しいのかな」と思ってしまったんです。
同時に、自分にそんな差別意識があったことにショックを受けました。それで、母はどんな気持ちで笑顔で接していたのか知りたかったな、とずっと思っていたんです。でも、3歳の帆花ちゃんに初めて会った時、部屋は温かい雰囲気に包まれて、帆花ちゃんは単純にかわいらしかった。実際にそこに存在する、その人を感じるということが大きいんだなと思いました。撮影するにつれ、母が笑顔だった訳も少し分かった気がしました。
作品の完成まで7年
「帆花」に登場する西村帆花さんは現在14歳。出産時にへその緒が切れたため、脳に酸素が行かず、仮死状態で生まれた。帆花さんが誕生した07年は改正臓器移植法が施行される3年前。当時は15歳未満の小児に対しては、移植目的の脳死判定は行わないことになっていた。そのため、帆花さんに脳死判定は行われていないが、両親は医師の説明を受けて帆花さんを「脳死に近い状態」と判断した。
その後、帆花さんは人工呼吸器を装着し、家族とヘルパーによる24時間のケアの下、自宅で生活を始めた。映画「帆花」では入浴や食事、絵本の読み聞かせなど、3歳から6歳までの帆花さんのかけがえのない日々を記録。帆花さんは体を動かさなくても、言葉を発しなくても、家族と触れ合う中でしっかりと成長していく。
── 撮影中、気を付けた点は何ですか。
國友 その時々で出る言葉や思いをありのままに記録したいと思っていたので、自分から何か質問したり、聞き出したりはしないと決めていました。
── 撮影は帆花ちゃんが特別支援学校の小学部に…
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週刊エコノミスト
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