週刊エコノミスト Onlineロングインタビュー情熱人

自分をさらけ出した審判 家本政明 元日本サッカー協会プロフェッショナルレフェリー

「英語のレフェリーは本来、『委ねる』という意味。規制することではないんです」 撮影=佐々木龍
「英語のレフェリーは本来、『委ねる』という意味。規制することではないんです」 撮影=佐々木龍

 スポーツの試合で微妙な判定が物議をかもすことは珍しくない。大きなプレッシャーがかかる審判だが、“素の顔”を見せて愛されたのがサッカーの家本政明さんだ。昨シーズン限りで勇退した今、振り返って思うこととは──。

(聞き手=元川悦子・ライター)

「『裁く』ではなく、一緒に試合を作り上げる存在に」

「『ルール適用のミスを犯したら辞めよう』と覚悟していたので、完全に死んだと思った。それでも『恩返しをしてから』と考え直した」

── Jリーグで主審を務めた試合は歴代最多の516試合を数えました。審判として最終試合となった昨年12月4日のJ1・横浜マ対川崎戦では両軍の選手からねぎらわれましたね。

家本 試合前からサポーターのみなさんがゴール裏に横断幕を出してくれて、試合後には両軍選手が作った花道を通って下がり、記念ユニフォームを贈ってもらいました。あの時は感謝と「最高でした」って言葉しか思いつかなかった。僕は主役じゃないし、いろんな迷惑をかけていた張本人。それなのにあのような華々しい環境を作ってもらえた。夢の中にいるような感覚でしたね。(情熱人)

── 審判勇退であのようなセレモニーは初めてで、家本さんの愛されぶりが伝わりました。

家本 誰でも仕事や学校で失敗や誤解に直面しますが、僕らレフェリーも人間ですし、ミスもたくさんする。僕はその背景を可能な限り伝えたいと思って、タイムリーな情報発信を心がけてきました。レフェリー側の判断意図や狙いを理解してもらえれば、サッカーを取り巻く人々との信頼が深まり、明るく元気になれる。やっぱり人は話をしないと分かり合えない。多くの人とつながりたいと考えて、早くからSNS(交流サイト)の活動にも取り組んでいたんです。

── ここ数年で、「審判は敵」という価値観が大きく変わった印象を受けます。

家本 僕がJリーグで笛を吹き始めた頃は「審判=裁く人」。権威や威厳を保つために選手との会話や交流は厳禁という考え方でした。バンバン笛を吹いて、カードを出すことが善だという考え方が根強かった。でも、今は選手たちと一緒にサッカーを作り上げていく関係性になっていると感じます。自分がその一助になれたのであれば、うれしいです。

カード乱発で活動停止に

 サッカーの審判のイメージは今、大きく変化している。かつては試合中に下した判断が絶対であり、予断を持たれることを避けるため、外部との接触も絶っていた。それゆえ、対戦チームの監督から試合後の記者会見で、審判の判断がやり玉に挙がることもしばしば。そんな批判に反論する機会さえなかった審判の世界で、2010年代からフェイスブックやツイッターなどで情報発信をしていたのが家本さんだ。今では珍しくなくなった“素顔が見える”審判だが、その先駆けとなるまでには数々の失敗の蓄積があった。

── 日本サッカー協会(JFA)のプロ審判員「スペシャルレフェリー」(SR、現在は「プロフェッショナルレフェリー」=PR)となった矢先の06年、J1の試合で「一貫性を持ったレフェリングができていない」とみなされ、異例の1カ月研修と審判員育成プログラムの一環として香港での活動を強いられます。

家本 レフェリーは試合の最終責任者。当時はまだ「眉間(みけん)にしわを寄せて笛を吹く」という、明治・大正時代の師範のような印象が強かったと思います。僕もその価値観にとらわれ、厳密性や正確性ばかりに目が行っていた。「イエロー、レッドカードを出さないと自分の評価が下がる」と考え、「評価と規則の奴隷」になっていましたね。

── 08年のリーグ戦開幕直前のスーパーカップでも計14枚のカードを乱発し、無期限活動停止処分を受けました。

家本 正直、絶望感に打ちひしがれました。脅迫電話や手紙も殺到し、恐怖におびえる日々でした。そこで僕を救ってくれたのが、人間の動作解析のプロフェッショナルで私が師匠と仰ぐ夏嶋隆さんと妻です。トレーナーとして活動する夏嶋さんには06年に弟子入りし、活動停止期間中も夏嶋さんのカイロプラクティックの診療所のお手伝いをしたのですが、大きな心で包んでくれました。当時はまだ結婚していなかった妻も「何があっても味方だから」と一晩中抱きしめてくれた時があった。その愛情によって、僕は感情ある人間に戻れた。2人の救いがなかったら、僕はレフェリーを続けられなかったでしょう。

「日本一嫌われた審判」

── 空白期間に考えたことは?

家本 僕は選手やサッカーと向き合っていなかったし、本質を理解しようとしていなかった。スタンスを変えない限り、永遠に過ちを繰り返すし、今ここで荒療治をするしかないと思い至ったんです。夏嶋さんからものの見方や捉え方を問いかけられたり、日本の古典や日本の型などさまざまな本を読んだりして、内面に問いかけたのも大きかったと思います。

── 3カ月後に実戦復帰し、家本さんのレフェリングが徐々に変化したと評されましたが、17年8月のJ2・町田対名古屋戦で人違い退場という大失態をしてしまいます。

家本 「ルール適用のミスを犯したら辞めよう」と覚悟していたので、もう僕は完全に死んだと思いました。処分は2試合の割り当て停止でしたが、「もう本当に辞めよう」という気持ちが強まった。ただ、多くの人々に助けられた自分が何の恩返しもせずに辞めてはいけないと考え直し、きちんと恩返しをしてから3年後くらいに退こうと決意したんです。

 自らを「日本一嫌われた審判」と表現する家本さん。しかし、その悩みや苦しみをさらけ出しながら、何度もはい上がってきた。大きな壁にぶつかるたび、「サッカーとは何か」「真のエンターテインメントとは何か」と真剣に模索。そして、「最も大事なのは、みんながサッカーを楽しむこと。最少の笛とカードで、最大の喜びと美しさを作り出すことだ」と気付く。ピッチ上でにこやかに選手と会話する姿が目に付くようになり、選手との衝突も減っていった。

史上最年少で1級取得

── 以前は怖い印象だった家本さんが素の姿に戻ってレフェリングをしたことで、選手や監督からの反応も変わったのでは?

家本 日本語で「審判」という言葉は管理や抑圧、規制といった師範のイメージですよね。でも英語のレフェリーは本来、「委ねる」という意味。選手に何を委ねられたのかを考えてアクションを起こさなければいけませんが、それは規制することではないんです。それを脳裏に刻んで、「一緒に感動の渦を作りましょう」といった姿勢で向き合っていれば、やはり彼らの様子も変わりますよね。Jリーグの新たなレフェリー像の一端を示せたのかなという思いはあります。

── 選手には試合中、どんな声掛けをするようになったのですか。

家本 マークされているDFのユニフォームを引っ張る癖のあるFWの選手には「ホールディング(手を使って相手選手の行動を妨げる反則)が分からないようにうまくやってね」とつぶやいたり、手を使ったDFに「今のはちょっとやりすぎだよ」と警告を発したりと、いろいろですね(笑)。判定は白か黒かじゃないし、灰色の部分も結構ある。選手と意思疎通を図ることで魅力的なサッカーを作り出す一助になれるんですよね。彼らとの人間関係は僕にとって大きな財産になりました。

 広島県福山市出身の家本さん。小学校3年からサッカーを始め、中学時代には全国大会に出場。福山葦陽高校時代もDFとして広島県選抜入りするほどの逸材だった。ところが、進学した同志社大学在学中に内臓の病気が悪化。選手生活を断念せざるを得なくなる。そんな時、高校の恩師から審判を勧められ、「結構うまいな」とほめられたのを機に勉強をスタートした。とんとん拍子に4級から3級、2級へとステップアップし、京都パープルサンガ(現京都サンガ)に入社した1996年、史上最年少となる23歳での1級取得を果たした。

── 1級取得後、02年にJリーグでデビューするまで、6年かかりました。

家本 「クラブの社員が他の試合に行くのはおかしい」という雰囲気もあり、Jリーグでの主審はできませんでした。クラブで現場マネジャーをしていた3年間はほぼ笛を吹かず、運営部門に移った4年目からは会社とも話して、部下に任せられる環境も作りながら、国民体育大会や全国社会人大会、女子のLリーグなど、徐々に審判活動ができるようになりました。

ユーチューバーに?

最後の試合となった2021年12月4日のJ1・横浜マ対川崎戦で主審を務めた家本政明さん
最後の試合となった2021年12月4日のJ1・横浜マ対川崎戦で主審を務めた家本政明さん

── そしてJデビュー、05年のSR契約、国際大会参加など活躍の場を広げます。

家本 98年のワールドカップ(W杯)フランス大会主審の岡田正義さん、02年の日韓大会主審の上川徹さんが02年からSRとして活動していて、僕も誘ってもらいました。U20(20歳以下)日本代表時代の本田圭佑選手らが出場した05年のカタール国際ユーストーナメントから海外にも派遣してもらえるようになり、ワクワクしましたね。当時は英語は「ストップ」「リラックス」くらいしかしゃべれませんでしたが、チャレンジ精神を持って挑んだつもりです。

── ここまでの長い経験の中から、家本さんが考えるレフェリーの必須条件とは?

家本 競技規則の理解、1試合で12~13キロ走れる身体能力、そして判断力、思考力、メンタル(精神力)、パーソナリティー(人間性)ですかね。国際主審などトップレフェリーを目指すなら、やはり語学力は最低限身に付けることが求められます。異文化や多様性を受け入れるコミュニケーションのスキルも大事な要素。これらの条件をどれだけ自分が備えているか分かりませんが(笑)。

 僕が笛を吹いた20年間を振り返っても、選手やサポーター、メディアの進化によってレフェリーの世界が変わったのは確かです。そのリテラシーを引き上げるのが今後の自分の役割ですし、僕にしかできない仕事。しばらくは個人事業主としてメディアに出たり、講演活動をしたりすることになると思います。2月からはJリーグと業務委託契約し、社会連携活動などに携わることになりました。また、ユーチューバーになる可能性もあります。これからも自分らしいスタイルで歩んでいきます。


 ●プロフィール●

家本政明(いえもと・まさあき)

 1973年、広島県福山市生まれ。同志社大学卒業後の96年にJリーグ・京都に入社。運営業務などに携わりつつ、1級審判員を取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審になり、京都を退職。05年から日本サッカー協会のスペシャルレフェリー(現在はプロフェッショナルレフェリー)に。06年と08年に出場停止処分も受けた。21年12月4日のJリーグ・横浜マ対川崎戦で勇退。Jリーグ通算で歴代最多516試合の主審を担当。

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