日本だけ例外ではいられない。グローバル化による物価の危機を説く=評者・平山賢一
『物価とは何か』 評者・平山賢一
著者 渡辺努(東京大学大学院教授) 講談社選書メチエ 2145円
日本人の安易な相場観に警鐘 民間主導で変革の必要性説く
コロナ禍にあって、スーパーやガソリンスタンドに行けば、物価上昇の広がりを感じざるを得ない生活者にとっては、改めて「物価とは何か」という疑問についての切実度は高まるばかり。「物価は生活そのものと言っていいかもしれません」と著者が記すように、われわれは、これまで忘れていた最も大切な足元の課題に直面しているのである。
コロナ禍のみならずウクライナ情勢の緊迫は、あらゆる局面で「壁」の存在感を高めている。21世紀初頭にかけて進展したヒト・モノ・カネ・データのグローバル化に対して、その反動・巻き戻しが発生しており、安価での調達に手枷(てかせ)・足枷(あしかせ)がはめられていると言ってよいだろう。労働者・観光客の移動が阻害され、資源・製品・サービスの輸出入が分断され、一部地域ではグローバル金融市場へのアクセスが困難になっている。さらに、手放せなくなったSNSやコミュニケーション・ツールにも制約が課され始め、あらゆる分野で「流れ」を遮る「壁」が高く、そして強固になっているのである。
世界中の人々が、この現実を強く認識せざるを得なくなったため、広範囲にわたり価格の見直し頻度が増えている。それだけに、「(インフレの予兆は)値上げが広い範囲の商品で頻繁に起こることです。その反対に、ある商品の値上げ幅が極端に大きくなったとしても、頻度や商品の広がりに変化が見られないのであれば、それほど心配は要りません」との本書の指摘は、1990年代以降のインフレ率安定に慣れたわれわれに対する警鐘にもなり得るだろう。
ところで、日本にあっては、「物価は上がらない」「価格は昨日と同じ」というノルム(社会の人々が共有する相場観)に支配されているため、日銀がいくら超金融緩和政策を実施して失業率は改善しても、インフレ率に目立った変化は見られなかった。消費者の怒りを恐れるあまり、企業は、原価が上昇しても「小型化によるステルス値上げ」と、「世代交代時の値戻し」という対応をしたことも、その要因になったと著者は説く。
一方で、二つの振り子時計の振り子がやがて同期化されるように、日本だけがグローバルに立ちはだかる壁の影響を受けないままではいられない。物価の相互作用は、グローバル社会のレジーム・チェンジをわれわれにも迫るはず。このような変化を機敏に感じ、的確に把握・判断するためにも、柔軟な対応が可能な民間主導のデータ・イノベーションが必要との主張には説得力がある。
(平山賢一・東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長)
渡辺努(わたなべ・つとむ) 1959年生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本銀行勤務、一橋大学経済研究所教授等を経て現職。専門はマクロ経済学。著書に『市場の予測と経済政策の有効性』などがある。