円の購買力低下に賃金安。苦境を分析した憂国の書=評者・田代秀敏
『日本が先進国から脱落する日 “円安という麻薬”が日本を貧しくした!!』 評者・田代秀敏
著者 野口悠紀雄(一橋大学名誉教授) プレジデント社 1870円
円の購買力低下に賃金安 苦境を分析した憂国の書
円安が劇的に進行している。3月28日にドル・円為替レートは一時、2015年8月以来の円安である1ドル=125・11円となった。
マクドナルドのビッグマックの日本での販売価格390円を右記のレートで換算すると3・12ドルとなり、米国での販売価格5・81ドルより46・3%も安い。
円安は中国の人民幣に対しても進み、3月28日に一時、1元=19・64円となった。これでビッグマックの日本での販売価格を換算すると19・86元となり、中国での販売価格24・40元より18・6%安い。
物価水準の違いと貿易構造とを考慮した円の購買力の総合的な指標である実質実効為替レートは今年2月に、円高のピークであった1995年5月の水準の半分弱となり、1ドル=305・19円であった72年2月以来の低い値となった。
円の購買力を半世紀前の水準に押し戻した円安は、貿易立国日本を復活させる「良い円安」ではなく、日本を先進国から脱落させ三等国へ転落させる「亡国の円安」であると著者は断言する。
著者の議論は経済学のロジックに基づく極めて明快なものである。
円建てで見た場合の輸出額の増加を賃金に反映させない一方で輸入価格の上昇を消費者物価に転嫁することで利益を得られる日本企業は、生産性を向上するためのイノベーションを怠ってきたと、著者は指摘する。
事実、70~95年度に2・9倍上昇した日本の実質賃金は、95~2020年度に11・4%下落し、並行して技術進歩率は95〜2020年度にマイナスとなった。
アベノミクスによる株価の上昇は、イノベーションによってではなく、ドルで評価した日本人の賃金を低く抑えたことによって実現したものであったと、著者は総括する。
本来、円安は輸出を増加させ、ドル売り・円買いを促し、円高を招くはずである。そうならないのは、日本の政治に円安を求めるバイアスがあるからだと、著者は指摘する。
“円安という麻薬”による長期停滞の経済的帰結は、日本の1人当たりGDPが「1960年代末から70年代初め頃と同じ状態にある」 という苦い現実であり、この趨勢(すうせい)が続けば「2030年頃には、OECD平均の半分程度の水準になってしまうだろう」 と著者は展望する。
長期には賃金を低下させてしまう賃上げ税制程度の政策しか提案されない政治に絶望し、働く者の立場に立つ政治勢力を待望する著者の憂国の念は政治家に届くのだろうか。
(田代秀敏、シグマ・キャピタル代表取締役社長チーフエコノミスト)
野口悠紀雄(のぐち・ゆきお) 1940年生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。専攻はファイナンス理論、日本経済論。『1940年体制』『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』など著書多数。