教養・歴史書評

思考のための理論的前提が、自然な人間観に堕した経緯を検証=評者・将基面貴巳

『ホモ・エコノミクス 「利己的人間」の思想史』 評者・将基面貴巳

著者 重田園江(明治大学教授) ちくま新書 1034円

経済現象の「科学」化で導入 「平板で貧しい」人間観の代償

『「利己的人間」の思想史』という副題から、当たり障りのない教養書と思って本書を手に取る読者は、読み進めるにつれて面食らうことだろう。「ホモ・エコノミクス」(自己の利益を最大化することを指針とする人間)という、近代経済学が前提とする人間観を中心とする経済思想史の教科書的な概説ではない。

 本書は現在、我々が自己利益の追求を合理的行動として当然視するようになったのは近代経済学がどのように構想された結果なのか、という問題を思想史の観点から解明する。そしてその結果は、近代経済学に由来する思考法と人間観に対する仮借ない批判となった。「近代経済学的思考の貧困」のような書名のほうがむしろふさわしいかもしれない。

 18世紀までの世界では、利己的人間は合理的どころか卑しむべき存在だった。しかし、そうした経済的倫理観は特権階級の既得権益の隠れみのでもあった。市民による自由な経済活動を正当化する経済学を目指して、19世紀に、オーストリアのメンガー、英国のジェヴォンズ、仏のワルラスは、経済現象の「科学」化を推進する。その際、理論的前提として導入されたのが「ホモ・エコノミクス」という利己的人間像だった。

 だが、科学化と引き換えに、本来、意図的に抽象化・単純化した理論的前提に過ぎなかったはずの人間観の妥当性は、後代の人々によって問われなくなってしまった。近代経済学の祖が意図しなかった結果の代償は甚大かつ広範である。

 自分の損得しか問わない、平板で貧しい人間観が、理論経済学を越えて経済政策や政治学にまで適用されたため、目先にとらわれた農業政策や大学「改革」、市民が政治を忌避する傾向を招来してしまった。それだけでなく、現代人は全て「ホモ・エコノミクス」であるように日々強要されている──。

 こう書くと難しそうに聞こえるかもしれないが、著者の語り口はあくまでも軽やかでユーモラスである。映画や漫画なども含め、話題豊富に展開し、読者を飽きさせない。

 昨今の新型コロナウイルス危機を乗り越えるために、「利他主義」に一部の論者が主張し注目を集めている。それとちょうど表裏をなして、本書は「ホモ・エコノミクス」が人間の自然で必然的なあり方ではないことを歴史をさかのぼって明らかにし、人間がどのような存在でありうるのかを根源的に再考する必要を訴える。経済的合理性しか目に入らなくなった現代人の視野の狭さをくっきりと照らし出す好著である。

(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)


 重田園江(おもだ・そのえ) 1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部に学んだ後、日本開発銀行などを経て現職。現代思想史、政治思想史が専門。『フーコーの風向き』など、仏の思想家フーコーをめぐる著書多数。

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