1970年代以降の中国の青壮年の興味深い日常=辻康吾
中国 徐則臣の短編集が描く多彩な人物
人は時折周囲を見渡して「時代が変わった」と感じることがある。自分の日常が大きく変わったわけでもないのに、何か周囲の世界のすべてが変わったように感じられる。とりわけ中国のように巨大で複雑な世界では、時の変遷と庶民の日常の変化が別の次元で動いている。中華人民共和国成立から70年余り、あの文化大革命からおよそ60年、そして改革開放政策への大転換からほぼ30年、中国は何度か大きく変わると同時に、それを日常事として受け入れてきた人々の生活の場でもあった。
その中国社会を背景に、文革以後の彷徨(ほうこう)を経て、2012年には2人目のノーベル文学受賞者、莫言を出すなど、かつての革命文学、その後の自省文学などを経て新しい中国現代文学が成立してきた。その代表的作家である徐則臣の短編作品集『如果大雪封門』(北京十月文芸出版、21年10月刊)が発行された。同書に収められた17作品(一部は発表済み)は、徐則臣の他の多くの作品と共通して、徐の故郷と思われる運河沿いの古い街である花街が物語の一つの中心となっている。
大運河の港町である花街は、昔は「水辺巷」と呼ばれ、運搬船が集まったことから花柳街があり、花街と呼ばれるようになった。今も表向き美容院などの看板を出しているが、訳ありの女性たちが集まり、夜ともなれば遊客を集めている。作者の定点観測地点の一つとなっているようだ。
その作品には、縁もゆかりもない流しの靴職人のために盛大な葬式を出す女性や、殺した犬を美味に料理する男、落下傘兵に憧れる少年、上映先で女性たちと関係を持つ野外映画技師、父親のばくちの借財を返して歩く男、本書のタイトル『如果大雪封門』となった厳寒の北京でハトを飼い大雪を待つ若者など、多彩な人物が描かれる。それぞれの動きは一定の方向へ行くわけではないが、全体として、中国のあの巨体が確実に動き続けていることが感じられる。
この多様な社会と人は、常に存在し、積み上がり、時代の変化となる一方、人々はそれに気づくことなく日々を過ごしていく。とりわけこの作品群に登場する1970年代以降の中国の青年、壮年層の方向性のなさ、彼らの焦点を欠いたさまざまな日常の動きは興味深い。
(辻康吾・元獨協大学教授)
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