低投票率を伝える報道がかえって投票率を下げている?=佐々木周作
投票率上げる仕掛け「ナッジ」とは?
伸び悩む参院選の投票率。有権者は「投票することで社会が良い方向に変わる」というだけでは投票所に足を運んでくれない。
「社会が良くなる」だけでは不十分
7月10日に「第26回参議院議員選挙」がある。政党や候補者が発表する公約とは別に、毎回関心を集めるのが投票率だ。
直近の国政選挙である2021年の「第49回衆議院議員総選挙」の投票率は55.93%だった。衆院選は第48回(17年)が53.68%、その前の第47回(14年)が52.66%であるから、底を打って少しずつではあるが上昇傾向にある。
一方、参院選の投票率は、19年の第25回が48.80%。第24回(16年)が54.70%、その前の第23回(13年)は52.61%で、下落傾向にある。参院選の投票率がこのまま下がり続けるのかが注目される。
「投票すること」には果たしてどんなメリットがあるのか。結果的に社会が良い方向に変わるとしても、その変化は「将来」に生じるものだ。人は、将来生じる便益を過小に評価する傾向がある。
例えば「今日、1万円をもらう」と「1週間後、1万100円をもらう」という二つの選択肢があった場合、多くの人は前者の「今日、1万円をもらう」を選択する。額面では1万100円の方が高いのに、受取時期が「1週間後」と遅いせいで主観的価値が下がり、今日もらう1万円の方が魅力的に感じられるのである。
選挙においては、「投票に行くことは将来の良い変化につながる」という認識のある人であっても、「将来」ということでその変化が割り引かれて小さく感じられるため、投票に行く面倒臭さが相対的に勝り、投票に行かない選択をしてしまう可能性がある。
自分の投じた1票が、実質的にどのような効果を持つのかを真剣に考え出してしまうと、ますます投票に踏み出しにくくなるという側面もある。例えば、特に有力な候補がいる場合やたくさんの有権者がいる場合は、1票の増加が選挙結果に与える影響が非常に小さくなるからである。
選挙結果とは無関係に、投票を通じて選挙に参加すること自体に意義を見いだせる人でないと、投票に行くことに積極的にはなれない、ともいえる。個々人の投票に行くことの意義や選挙との付き合い方は、投票するという経験を通じて徐々に形成される。最近、選挙権を得たばかりの若い世代や、これまで一度も投票したことのない人たちに、まずは投票という行動に向かうように追加の後押しをすることは社会的に重要だ。
昨今話題の「投票割」も、その後押しの一つだ。投票後に受け取れる「投票済証」を飲食店などに持参すれば、割引を受けられるというサービスは、過小評価されがちな投票の喜びを補強する。
「投票割」とは別に、投票直後に非金銭的な便益を感じられるようにするというアプローチも、海外では試行されている。例えばドイツでは、コンサートホールの指揮者の立ち位置のように、普段入ることのできない特別な場所に投票箱を設置するという取り組みが行われている。特別な場所で投票する喜びは、投票と同時に(あるいは投票を待っている段階から)感じられる。選挙を通じた「将来の良い変化」が過小に評価されても、この追加的な喜びによって投票に行くことに積極的になれる人は少なくないだろう。
金銭的なインセンティブ(誘因)構造を大きく変えることなく、人の好みや意思決定の特徴を踏まえながら、投票に行くという社会的な行動を後押しするための工夫を「ナッジ」と呼ぶ。ナッジを提唱した行動経済学者のリチャード・セイラーは17年にノーベル経済学賞を受賞している。新型コロナウイルス禍では、社会的距離の確保やワクチン接種を促すために、世界各国でナッジが活用された。
ここで、海外で行われている投票率を上昇させるためのナッジ研究を紹介しよう。
感謝メッセージを添える
まず、単純に見えるかもしれないが、謝意を伝えることは投票率の上昇に貢献するようだ。米国では、投票日の1週間前に投票日を知らせるとともに、過去の投票への感謝メッセージを添えたハガキを郵送する、という実験が行われた。このハガキを受け取った人たちの投票率は、受け取らなかった人たちと比べて2~3ポイント高かったそうだ。投票日をリマインドするだけのハガキを郵送しても上昇効果は観察されなかったといい、感謝メッセージを添えることに意味があったと考えられる。
他人や社会から好意的に対応されると、自分も他人や社会に対して好意的に対応したいと思う、互恵的な性質を人は備えている。感謝メッセージは、その互恵性を踏まえた工夫といえる。「投票は行って当たり前」という価値観の人にはなじまないかもしれないが、投票所入場券に感謝メッセージを添える工夫を検討する価値はあるかもしれない。
投票率可視化の工夫
投票に行こうと決意しても、その決意を維持できず、結果的に投票の実行に「失敗」してしまう人がいる。「具体的な計画を立てること」がそうした人への対策になる。
米ペンシルベニア州では、選挙前に投票に行くかどうかを尋ねる電話インタビューで、「何時に投票に行くか」「どこから投票所に向かうか」「投票に行く前に何をするか」を追加的に尋ねたところ、投票率が4.1ポイント高くなったという。
漠然と「投票に行こう」と考えているだけでは、いつ行くか、何をしてから行くかを決め切れず、投票日当日になって雑用にかまけている間に、投票期限を過ぎてしまうのかもしれない。あらかじめ計画を細かく決めておくことで、当日考える負担が減り、計画通りに実行されやすくなるのだろう。電話などで、他人に対して自身の行動計画を宣言してもらうことも、効果的に働く可能性がある。
他にも、自分を含む近所の人たちの過去の投票歴を見られるようにすることで、次の選挙の投票率が8.1ポイント上昇したという研究もある。この研究は、近隣に住む人たちの名簿リストに、それぞれの人が過去に投票に行ったかどうかという情報を添えて提供するという介入を行っていて、なかなか強烈だ。しかし、匿名性に配慮しつつ、地域の人々や同世代の人々の投票行動の量感を、表現を工夫して示すことは、検討の価値がある。投票率自体は低くても、実は同世代でこれだけ多くの人々が投票に行っている、ということをうまく伝えられれば、投票に行こうと思う人が増える可能性がある。
人には、他人と同じような行動を取っていると安心する、という性質がある。投票率の低さばかりが強調される報道は、自分も投票に行く必要はないという考えを助長してしまうかもしれない。周囲に対する認識を「投票に行っていない」から「割と行っている人も多い」に転換するにはどうしたらいいだろう。「投票率は50%です」より「2人に1人は投票に行っています」の方が、割と行っている人も多いと思えるだろうか?
(佐々木周作・大阪大学特任准教授)
■人物略歴
佐々木周作(ささき・しゅうさく)
1984年大阪府出身。京都大学卒業後、三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。退職後、大阪大学大学院博士課程修了。東北学院大学経済学部准教授などを経て現職。専門は行動経済学、実験経済学。博士(経済学)。
本欄は、藤井秀道(九州大学大学院准教授)、江夏幾多郎(神戸大学准教授)、佐々木周作(大阪大学特任准教授)、糸久正人(法政大学准教授)、藤原雅俊(一橋大学教授)の5氏が交代で執筆します。