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週刊エコノミスト Online 日本人が知らないウクライナ

ウクライナ最強キーウのサッカーチーム 戦争に屈しない「伝説の試合」=服部倫卓

強豪英マンチェスター・シティとの対戦で気合が入るディナモ・キーウのサポーターたち(2016年、筆者撮影)
強豪英マンチェスター・シティとの対戦で気合が入るディナモ・キーウのサポーターたち(2016年、筆者撮影)

 ウクライナのサッカーにまつわる有名なエピソードがある。第二次大戦中、ウクライナを含むソ連の西部国土はナチス・ドイツに占領された。ディナモ・キーウの選手を中心とする地元チームは、1942年に枢軸国側のいくつかのチームと試合をさせられたが、ことごとく勝利を収めてしまう。不快に思ったドイツ側は、強豪のドイツ空軍クラブとの対戦をキーウに申し入れた。キーウの選手はドイツ空軍を破ったら殺すと警告されていたが、負けることはプライドが許さず、2回戦い2度とも勝利してしまった。その後、ドイツ当局によって連行され、処刑された選手もいた、とされている。

 このエピソードは後に「死の試合」として広く知られるようになった。しかし、本当に処刑されたかについては諸説あり、ナチスドイツの残虐さを強調するためのソ連のプロパガンダとしての脚色も含まれていたようだ。ただ、「死の試合」は、1981年の米映画「勝利への脱出」のモデルになるなど、各国で何度も映画化された。また、「ディナモ ナチスに消されたフットボーラー」(晶文社)というノンフィクションの翻訳本も日本で発売されている。

 ことほどさようにウクライナはソ連を代表するサッカーどころだった。それを考えると、記憶に新しい2018年のFIFAワールドカップ(W杯)で、ホスト国のロシアが「ソ連時代を含め11回目のW杯出場」とされたことは、釈然としない。

 確かにロシアはソ連の継承国だ。これがアイスホッケーであれば、かつてのソ連代表にはロシアの選手が多く、今日のロシア代表との連続性が認められよう。しかし、ことサッカーではその図式は成り立たず、ウクライナの貢献度が大であった。

ディナモ・キーウと分離主義地域のゾリャー・ルハンシクの対戦(2014年、筆者撮影)
ディナモ・キーウと分離主義地域のゾリャー・ルハンシクの対戦(2014年、筆者撮影)

ソ連時代の1位キーウ

 サッカーのソ連国内1部リーグは、時代によって所属チーム数が16~20と変化したが、ウクライナは常に4~6チームほどを送り込み、ロシアをしのぐ勢いだった。人口規模でロシアの方が3倍ほど大きいことを考えれば、ウクライナの充実ぶりがうかがえよう。冒頭のディナモ・キーウは13回もソ連チャンピオンに輝き、最多優勝記録を誇った。

 一例として、86年のソ連1部リーグの順位表を見てみよう(地名・チーム名は今日の呼称に合わせている)。この年もウクライナは5チームをトップリーグに送り込み、ディナモ・キーウが優勝を遂げている。名将ロバノウシキー氏率いるキーウの無双ぶりを受け、ソ連サッカー協会は、サッカーワールドカップ(W杯)・メキシコ大会に向けたソ連代表の監督を、ロバノウシキー氏に兼務させることに決めた。メキシコ大会のソ連代表では、22人の選手のうち15人もがウクライナ勢であり、ロシア勢はわずか5人だった。

 ところで、86年のメキシコW杯の日程は5月31日~6月29日だったので、同年4月26日にウクライナ共和国でチョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故が起きた直後ということになる。事故処理や避難が続く騒然とした状況の中でも、ウクライナの人々は、地元のヒーローたちがメキシコで繰り広げる熱戦を、固唾を飲んで見守ったのであった。

オリガルヒが台頭

 91年にソ連が崩壊しウクライナが独立すると、「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥の領袖が群雄割拠し、サッカーも影響下に置かれた。サッカーは大衆的な文化から、オリガルヒの私的な道楽へと変質していった。成金たちが大枚を投じた結果、国内リーグで躍進するだけでなく、欧州サッカー連盟(UEFA)主催の国際大会であるチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグで活躍するクラブも現れた。

 2014年にウクライナで政変が発生すると、その混乱に乗じてロシアがウクライナ領クリミアを併合、東ウクライナのドンバス地方でも紛争が発生した。ウクライナのサッカーは、この国難で大打撃を被った。ディナモ・キーウとともにこの国のサッカーを引っ張ってきたドンバス地方のシャフタール・ドネツクは、ホームタウンが親露派によって占領され、疎開生活を余儀なくされた。オリガルヒ没落の道連れになったクラブもあり、FCドニプロは15年にUEFAヨーロッパリーグで準優勝を果たしながら、スポンサーのオリガルヒ、コロモイシキー氏の資金疑惑での凋落を原因として、19年にチームが消滅してしまった。

 挙句の果てに、22年2月24日にはロシアが軍事侵略を開始した。ウクライナの国内リーグであるプレミアリーグは、ちょうどウインターブレーク(冬休み期間)が明け再開するタイミングだったが、シーズンの半分を残してそのまま終了を余儀なくされた。

 6月5日、ウクライナ代表は、W杯カタール大会への出場を目指し、欧州予選プレーオフのウェールズ戦に臨んだ。その結果、敵地で0対1と惜敗し、本大会出場を逃した。86年に原発事故の最中でもソ連代表を応援したように、今回も多くのウクライナ国民が戦時下にもかかわらずテレビに釘付けとなったと言われている。

ロシアに併合される前のクリミアのシンフェローポリとドネツクの対戦(2012年、筆者撮影)
ロシアに併合される前のクリミアのシンフェローポリとドネツクの対戦(2012年、筆者撮影)

8月にプレミアリーグ再開

 それにしても、ウクライナ代表は、毎回のようにW杯欧州予選のプレーオフ(出場権を得るために行う予備的な試合)まで進みながら、そのステージで涙を飲んでいる(今回で実に5回目)。

 強豪ひしめく欧州予選で、ほぼ確実にプレーオフまでは辿り着くというだけで、相当な実力の持ち主だが、ことごとくそのステージで敗れているのには、やはり訳があるのだろう。ウクライナのサッカーは美しく、どんなに苦しい状況でも丁寧にボールを繋ごうとする。魅力はたっぷりだが、W杯予選プレーオフのような「ここぞ」という勝負所を勝ち抜くのには、リアリズムが足りないのかもしれない。

 W杯カタール大会出場は逃したものの、ウクライナにはもうすぐフットボールのある日常が戻りそうである。ウクライナ・プレミアリーグの2022~23シーズンは、8月23日に開幕することになった。通常は週末開催の国内リーグ戦を、あえて火曜日から始めるのは、この日が「ウクライナ国旗の日」だからだそうだ。

 むろん、ロシアによる占領地や、戦場に近い都市では、サッカーどころではない。新シーズンのプレミアの試合は、比較的安全な首都キーウや西部リヴィウのスタジアムを中心に開催される。現在のところ試合は無観客とされ、空襲警報が鳴れば直ちに試合を中止して選手およびスタッフの安全を確保するということだ。ウクライナサッカーは、苦難の再スタートを切ろうとしている。

(服部倫卓・ロシアNIS経済研究所所長)

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