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徹底解剖 さらなる高みへ! BTSは何を目指すのか 世界中を魅了する7人の軌跡・前編
有名音楽賞を数々受賞し、音楽チャートの記録を塗り替えたBTS。今やファンの波は全世界に広がり、誰もがこの7人に心奪われている。世界の東の果てのボーイズグループが、偉業を成し遂げられた理由はどこにあったのか。その魅力を解剖する。
BTSのメンバーのうち最年長のJIN(29)は今年末までに入隊が予定されている。その兵役義務をめぐり8月1日、韓国の李鐘燮(イ・ジョンソプ)国防相は入隊後も「海外公演があれば、参加を可能にする方法があるはずだ」との見解を示した。今、グループ活動の行方が大きく注目されている。
「韓国で国防は四大義務の一つで、法律の定めに従って、兵役を遂行しなければなりません。パーソナルで繊細な問題でもあるので、新聞でもほとんど言及しない。今年5月、新たに尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が就任しましたが、大統領が誰であろうと、結局は国民の世論などを見極めて最終的に判断することになるでしょう」
『BTSを哲学する』(かんき出版)などの訳書がある桑畑優香さんは韓国の事情をこう話す。
米の音楽シーンの歴史に、その名を刻印したBTS。今年4月に行われたグラミー賞授賞式では黒のスーツに身を包み、圧巻の歌とダンスのパフォーマンスを見せた。スタンディングオベーションで称賛する世界のセレブたち。東アジアの男性グループが、グラミーで華麗に躍動する日が来るとは、一体誰が想像し得ただろう。BTSとは、何者なのか。そしてどんな実力と魅力を併せ持つのか。それを知るためにも、彼らの歩みを振り返っていきたい。
BTSが産声を上げたのは2013年のこと。BTSの生みの親パン・シヒョクは韓国の音楽プロデューサーであり、作詞・作曲家。大手芸能事務所から独立し、「ビッグ・ヒット・エンターテインメント」(現ハイブ)を創設した。その彼が惚(ほ)れ込んだ才能が、当時アンダーグラウンドのヒップホップシーンで歌っていたRM(27)だった。韓国のテレビ番組「明見萬里」で、パン氏はRMの印象をこう話している。
「テーマを扱う思考の深さと言語の使用の流麗さ、ラップを韓国語でこなす創造的な技は17歳とは思えないほど優れていました。これほどの実力者を放っておくことはできないという使命感が芽生えたのです」
そこから男性グループを作るためのメンバー選抜が始まった。事務所には30人ほどの練習生が常に在籍し、17平方㍍の部屋に9人が寝泊まりする。練習は1日7~8時間。課題が与えられ、その結果によって練習生が入れ替わるという過酷な世界だ。
BTSのリーダーであるRMの名は「ラップモンスター」の略称だ。模擬試験で全国のトップ1%に入るほど成績優秀だったRMは読書家で思慮深く、詩人になりたいと語ったこともあった。今、英語での記者会見はRMが担当しているが、レベルも高いと評判だ。まさにBTSの頭脳、知性ともいえる存在である。
次にメンバーに選出されたのがSUGA(29)であり、やはりラッパーとしてアンダーグラウンドで活躍していた。音楽制作ソフトの扱いを独学で覚えた彼は、17歳になると音楽スタジオでバイトをし、作詞や作曲、編曲を学んだ。実家は貧しく、スタジオに行くバス代と食事代がやっと払えるほど。時には2時間歩いて帰宅したという。音楽評論家の丸屋九兵衛さんは語る。
「SUGAは本来、プロデューサー志望でした。踊らないヒップホップ・グループでデビューさせると言われたのに、途中からアイドルグループに軌道修正されて、しかもK―POPの中でも最もハードな踊りを要求された。辞めようとしたこともあったと聞きます」
そしてもう一人のラッパーがJ―HOPE(28)だ。中学生の時には全国ダンスコンクールで優勝し、ストリートダンサーとして名を馳(は)せていた。BTSダンス解説をYouTubeでする振付師でブレイクダンサーのマロンさんは話す。
「ダンス技術という意味ではBTSの中でも最も巧(うま)い一人です。しかも自分なりの個性やニュアンスでヒップホップを踊れる。体の可動域も大きく、ステージで観ると、一瞬で目を惹(ひ)く存在です」。ラップは練習生になって始めたが、「メロディー能力にも優れた、歌えるラッパーです」(丸屋さん)
ハーモニーの美しさの秘密
そのJ―HOPEと双璧をなすダンサーがJIMIN(26)である。コンテンポラリーダンスで釜山芸術高校に首席入学した才能を誇る。「柔らかい動きが特徴で、指先まで美しい。J―HOPEが剛だとすると柔の魅力」(マロンさん)。さらに歌は、男性には稀有(けう)な透き通るようなハイトーンボイス。「20代後半なのに、なぜあんな永遠の少年のような声が出るのか。声の揺れも美しく、本当に得難い存在」と丸屋さんも賛辞を惜しまない。
同じボーカルながら、高音のJIMINと対極をなすのが低音のⅤ(26)だ。「70年代はR&B音楽にも低音のバリトンがいましたが、80年代以降はほぼ高音のテノールのみ。でも彼はバリトンです。一般的なボーカルアレンジならJIMINとⅤは音が高低にずれ過ぎているので必要ないかもしれない。BTSは他のシンガー2人も上手(うま)いし、それで十分です。でもJIMINとⅤがいることで特有のハーモニーの美しさ、面白さが生まれる」(丸屋さん)
Ⅴは海外メディアが選ぶ「世界で最も美しい顔」で何度も1位に輝いたほどの美貌を誇る。デビュー直前までメンバーであることを隠されていた、いわば秘密兵器だ。前出のマロンさんは、このⅤ推しだ。
「よく小説の行間を読むといいますが、ダンスの間の仕草が魅力的だし、音の解釈も独特です。全員が厳しい顔で踊っているのに、一人だけふっと笑ったりする。彼はダンサーというよりアーティストで、空間を表現する力がある。同じダンサーとして、僕が最も目指したい位置にいます」
そしてBTSの長男JIN。父は大手企業のCEOという御曹司だ。「ビジュアル担当」と言われるほど完璧な美形で、他の大手事務所にもスカウトされたが、それをいたずらだと思い結果的にBTSへと参加。対して最年少のメンバーがJUNG KOOK(24)で、韓国語の「末っ子」を意味する「黄金マンネ」のあだ名で愛される。韓国最大のテレビタレントオーディションを受けて七つの事務所からスカウトされた魅力の持ち主。大手も含めて事務所を見学した時、RMのラップを見て「かっこいい」と感じ、ビッグ・ヒット入りを決意した。2人ともボーカルであり、歌もダンスも、やはり高レベルだ。
そうして当時、「防弾少年団」の名でデビューを果たしたBTSだが、その未来は決して明るくはなかった。
「韓国では大手の三つの芸能事務所の力が圧倒的です。小さい事務所のビッグ・ヒットはテレビなどのプロモーションが難しかった。そのためBTSはTwitterやYouTubeなどのSNSを使って宣伝活動をしたのです」(桑畑さん)
人々の心を奪ったBTSの歌詩
BTSはメンバー全員が都会のソウルではない地方出身者だ。練習生時代から経験してきた偏見や誤解、小さな事務所に所属するアイドルの葛藤や憂鬱、韓国の詰めこみ式教育に抑圧された青春の挫折と反抗。彼らはそれを歌詞やSNSで語った。前出の韓国の番組で、パン氏は当時の様子をこう語る。
「1枚目のアルバム制作時から、彼らに要求したのは一つだけ。それはBTSの曲はBTSの内面にあるストーリーであるべきだということ。それ以外は練習も生活も規制しませんでした。すべて自由に、自発的に参加できるようにした。歌詞の大半が学校に関するものだったのも、当時はメンバーの多くが学生だったからです。学生の反抗なんて時代遅れのコンセプトだと批判も多く受けました。でも私は、自分のことを歌うのが何より大事だと思っていた」
当時のアルバムは「学校三部作」と呼ばれ、粗削りで攻撃的、ストレートなメッセージを打ち出したが、人気は低調だった。
「ハードなトラックにしゃかりきなラップを乗せるという当時のBTSの基本スタイルは、あの頃の米のヒップホップと比べるとかなり古かった」(丸屋さん)
だが、彼らは少しずつ変化していく。それが15年から始まったアルバム「花様年華」シリーズだ。「人生で最も美しい瞬間」という意味を持つこの「青春三部作」では、ヒップホップのアイデンティティーは守りつつ、ポップス路線を取り入れた。
「服装やアルバムのデザインもかつては黒と白とゴールドといった反抗的な色が中心でしたが、ピンクやパープルなど柔らかいパステルカラーが使われるようになっていった」(桑畑さん)
人気に、火が付き始めた。曲「Ⅰ NEED YOU」が韓国の音楽番組でついに1位を獲得。自らの思いを真摯(しんし)に、偽りなく語るBTSの言葉の数々に、「気持ちを代弁してくれた」「救われた」とSNSを中心に、「ARMY」と呼ばれる熱狂的なファンを生み出し、その輪はやがて世界へと広がっていった。
「大きな転機は、17年5月の米ビルボード・ミュージック・アワードでした。6年間、連続受賞していたジャスティン・ビーバーを破り、『トップ・ソーシャル・アーティスト』部門を初受賞した」(桑畑さん)
米ビルボードで連続1位を記録
同賞は1年間のアルバム及びデジタルの売り上げ、ストリーミングやSNS参加指数などのデータと、ファン投票を合算して決められる。いわば人気のバロメーターだ。それを受けて同年11月には米三大音楽賞の一つアメリカン・ミュージック・アワード(AMAs)に招待されて曲「DNA」を披露。その存在を強烈に印象づけ、「BTSのBTSによるBTSのための舞台だった」と激賞された。
「人気が出たとはいえ、それまではSNSが生んだアイドル扱いで、洋楽好きはこれで初めてBTSを知ったという人も多い。アイドル的なファンの掛け声がこだまする中、登場した彼らのキレキレのパフォーマンスに、〝これは一体、誰!?〟とみなが驚いた。それ以来、米の人気テレビトーク番組『エレンの部屋』などにも出演します。あまりのファンの熱狂ぶりに『ビートルズの再来』との声も囁(ささや)かれ始めました」(桑畑さん)
巻き起こった旋風。その礎となったのは絶えず自らを惜しまず研鑽(けんさん)し、仲間と歩み続けた彼らの姿だった。観れば誰もが一発で魅了されるそのダンス技術を、マロンさんが解説する。
「ダンスの基礎力は全員ものすごく高くて、7人の振りがきちんと揃(そろ)っているのも驚異的です。どれだけ練習すればあのレベルに到達できるかは正直、予測がつかないですね。僕もストリートダンスをしていますが、自分の好きな動きしかやらない。でもBTSは決まった振り付けがあるので苦手な動きもしなければならないし、甘えが許されない。そのためには徹底した管理や節制が必要で、真の意味でのプロといえます。容易には辿(たど)り着けない世界です」
加えて、曲も完成度を高めていった。17~18年にかけて「LOVE YOURSELF」シリーズが発売されると、「よりR&B方面に音楽性が変化しました。しかもR&Bファンが泣いて喜ぶほど曲の出来がいい」と丸屋さんが絶賛するほどの高みへと到達する。
「米の有名なラッパーのポスト・マローンは曲中の95%は歌っていて、ほとんどR&Bです。それが2010年以降のヒップホップで、BTSは米の音楽シーンと深く関わる中でこういう現状を体感し、自分たちをアップデートしていったのではないか」(丸屋さん) そして20年に迎えたコロナ禍。「パンデミックの中でより多くの人に元気になってほしい」と初の全編英語曲「Dynamite」を発売し、大ヒット。
「英語の歌なのでラジオでより多く流れたことも大きかった」(桑畑さん)
現在のファンの6割はこれ以降にBTSを好きになったといわれる。続くやはり英語曲の「Butter」などで米ビルボード・ホット100の通算10週1位という偉業を達成。BTSは名実ともにワールドスターへと駆け上った。
次回はなぜここまで人々の心を揺さぶることができたのか、BTSの本質に社会学的、心理学的に迫る。
(本誌・鳥海美奈子)
参考文献 『BTSを読む なぜ世界を夢中にさせるのか』(柏書房)著者/キム・ヨンデ、翻訳/桑畑優香、『BTS オン・ザ・ロード』(玄光社)著者/ホン・ソクキョン、翻訳/桑畑優香、『BTS ICONS OF K-POP 史上最高の少年たちの物語』(青春出版社)著者/エイドリアン・ベズリー、翻訳/原田真裕美