表現する人 前橋文学館館長、萩原朔美さん
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萩原朔美 前橋文学館館長、多摩美術大学名誉教授/49
祖父は日本の近代史を切り開いた詩人、母は作家という家に生まれた。映像や演劇など多彩な分野で創作に取り組み、東京・渋谷で若者文化も先導してきた萩原朔美さん。今、取り組む新たな表現の世界とは――。(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)»»これまでのロングインタビュー「情熱人」はこちら
── 東京・京橋のギャラリー「BAG─Brillia Art Gallery─」で今年6月18日~7月10日に開いた写真展「萩原朔美 都市を切取り、時を生け捕る」が話題になりましたね。
萩原 ちょっと大きな写真展でした。ギャラリーは二つの展示スペースがあり、1カ所は(祖父の詩人・萩原)朔太郎が撮影した写真と同じ場所に行って、同じアングルで撮っています。もう1カ所は自分の写真の作品です。
── 撮影のモチーフが「定点観測」ということでしょうか。
萩原 午前5時に起きて、毎日スマートフォンでいろんなものを撮っています。300種類ぐらい撮っています。例えば、この間は電信柱ばかり撮っていたんですよ。電信柱って面白いなと思っていたら、電信柱の隣の丸いカーブミラーの影が人形のように面白くて、あ、そうだ、カーブミラーっていままで撮ったことないなと、今度はそっちを撮り始める。ずっと同じ形状のものを撮り続けています。そうやって反復することによって、差異が表れてくるんです。そこから思いがけないものが生まれることがあるんです。
「差異と反復」がテーマの展示スペースでは、カーブミラーの小さな写真を横8枚、縦6枚の計48枚並べて1枚の額に収め、微妙な差異を感じさせる作品などのほか、萩原さんが初代編集長を務めた1975年創刊のサブカル雑誌『ビックリハウス』(パルコ出版)の表紙も展示。もう一つの展示スペースでは「100年の定点観測~朔太郎・朔美写真展~」と題して、約100年前に朔太郎が撮影したり、朔太郎が被写体となった写真を基に、朔美さんが同じ場所、状況を再現して写真を撮影し、朔太郎の写真と並べて展示した。
言葉の豊かさを考え直す
── 朔太郎没後80年となる今年、萩原さんが館長を務める前橋文学館(前橋市)をはじめ、10月から全国52カ所の文学館などで企画展「萩原朔太郎大全2022」も開催します。どういう経緯で企画したのですか。
萩原 全国的な規模で図書館とか文学館が同時に一つのテーマでやったことがないんです。いまだかつて。それを一斉にやるということ。別に朔太郎じゃなくてもいいんですよ。たまたま僕は朔太郎がやりやすかったというだけでね。要は朔太郎は素材で、朔太郎をどう切るかは、それぞれの文学館の考え方。50カ所以上の文学館が一斉に、それぞれの朔太郎展をやることで面白さが出てくるんじゃないかと思っています。
── 詩集『月に吠える』『青猫』などで口語自由詩を確立したと評価される朔太郎ですが、今、改めて朔太郎にスポットライトを当てる意味は何ですか。
萩原 朔太郎は何をやったかというと、言葉の機能を広げた、あるいは言葉の持つ力を広げた人じゃないかと思っているんですよね。単に言葉は一つの意味だけを持っているわけじゃなく、もっといろんなイメージを広げるような豊かな表現力がある。それは、言葉の持つ力としか言いようがないんだけど、今、言葉は最低な状態に置かれている。豊かだったはずの力を失っています。
例えば、政治家が発する「誠実に対処します」という言葉が全部うそに聞こえるようになってしまった。そこがすごく大きいのではないか。イギリスの政治家などはシェークスピアを引用したり、詩人の言葉を引用したりしますが、そういう詩人の言葉を引用する政治家が日本からなぜ出ないのか。だから、今こそ言葉の領域を広げた朔太郎を通して、言葉の豊かさを考え直す時期なんじゃないか、と思ったんです。
── ただ、萩原さん自身は「萩原朔太郎の孫」と言われるのが嫌だったようですね。
萩原 私が詩を書かない、小説を書かないのは、親(母親の萩原葉子さん)が小説を書いているし、祖父が詩を書いているからじゃないですかね。…
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週刊エコノミスト
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