セカンドキャリアを開く 元バドミントン五輪代表、池田信太郎
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池田信太郎 元バドミントン五輪代表、外資系コンサルタント/51
バドミントンのプロ選手第1号として第一線で活躍した池田信太郎さん。目標設定や自らを売り込んだ経験を生かし、現在は企業の戦略構築に関わるコンサルタントとして、ビジネスの第一線で走り続けている。(聞き手=元川悦子・ライター)>>これまでの「ロングインタビュー 情熱人」はこちら
「僕はバドミントン選手でプロ契約第1号。自分の価値をマーケットに問いかけたくて、スポンサー探しにも打って出た」
── 昨年の東京オリンピックで渡辺勇大・東野有紗組が混合ダブルスで銅メダルを獲得し、今年8月の世界選手権でも山口茜選手が女子シングルスで優勝するなど、日本バドミントン界の躍進が目立ちます。
池田 東京五輪ではメダル1個でしたが、近年は世界ランキング上位選手が増え、日本人選手は右肩上がりで成長していると思います。ただ、東京五輪の中心だった桃田賢斗(NTT東日本)、奥原希望(太陽ホールディングス)選手らが20代後半に差し掛かり、世代交代の時期に直面しているのも事実です。
── プロ契約をして賞金を稼ぎ出すバドミントン選手が増えたのも最近ですね。
池田 今は桃田、奥原選手らプロ契約選手が何人かいます。トップ選手が賞金で稼げる金額は年間4000万~7000万円前後で、これに個人のスポンサー収入が加わります。以前に比べると夢のある環境にはなりましたが、テニスの10分の1というレベルなので、まだまだ低いと感じます。実をいうと、僕は北京五輪の後の2009年にプロ契約に転身した第1号なんです。自分の価値をマーケットに問いかけたくて、「自分の食いぶちを稼ぐ算段をしなければいけない」という意識を強く持ちながらプレーしていました。
日本ユニシス(現BIPROGY)との所属契約も13年に終了したので、その後は自分でスポンサー探しにも打って出ました。当時、在籍していたマネジメント会社を通して何社か話があったので、「すぐに決まるだろう」と楽観していたのですが、半年たっても正式決定には至らない。僕自身も焦燥感が募り、自分から動き出した経験があります。
「イケシオ」で五輪に出場
── 現役選手を続けながらスポンサー探しというのは本当に大変です。
池田 そうですね。最初は「池田信太郎」という人間の魅力、バドミントン選手としての価値などを資料にまとめるところから始めたんですが、当時は職務経験も皆無に近く、パソコンスキルも低かったので、全く書けずに困り果てました。資料をプリントしようと、6500円ものカラー印刷を頼んでしまったという失敗談もあります。企業を回っても、「露出はあるんですか」と聞かれてしまう。
── 今でこそ、SNSやユーチューブが普及し、フォロワー数や登録者数、再生回数などの指標がありますが……。
池田 当時はまだフェイスブックが普及し始めたくらいで、自分を売る材料が乏しい状況でした。バドミントンはテレビ中継もほとんどありませんからね。そういう中でもより分かりやすい資料を作り、自己セールススキルを磨いて、スポンサーを取り付ける努力を続けました。その経験が今につながっていると痛感します。
池田さんは父親がコーチだった影響で、8歳からバドミントンを始めた。筑波大学を経て03年に日本ユニシスに入り、外国人コーチに師事してフィジカル面を徹底的に強化。筑波大の先輩でもある坂本修一選手とペアを組み、08年の北京五輪に男子ダブルスで出場を果たした。09年からは潮田玲子選手と混合ダブルスのペアとなり、「イケシオ」で12年ロンドン五輪にも出場。15年に現役を退くまでトップレベルで戦い続けた。そんな池田さんが選んだセカンドキャリアは、マーケティングやPRなど事業の戦略構築というビジネスの世界だった。
── 17年から米コンサルティング会社フライシュマン・ヒラード・ジャパンと契約し、コンサルタントとして戦略構築やマーケティングなどの仕事を担っています。こうした仕事には興味を持っていたんですか。
池田 はい。もともとビジネスをしたいという志向が強くて、ビジネス本を読み…
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週刊エコノミスト
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