エロ、パチンコ、そして「自殺」 エッセイスト、末井昭
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末井昭 エッセイスト/53
母親が若い男とダイナマイト心中するという激しい家庭環境の下で育ち、話題の雑誌を次々と手掛けてきた編集者。現在はエッセイストとして活躍する末井昭さんが、その波乱に満ちた半生を振り返る。(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)>>これまでの「ロングインタビュー 情熱人」はこちら
「『不要不急』に救われる人がいるかもしれない」
── 今年1月に『100歳まで生きてどうするんですか?』(中央公論新社)を出版しました。数々の雑誌をヒットさせ、さまざまな賭け事に手を染めてきた元ギャンブラーが、なぜ「生き方本」を書こうと?
末井 新型コロナウイルス禍が始まってから、感染予防のため「不要不急の外出は控えてください」と言われましたよね。その「不要不急」について朝日新聞からインタビューを受けたんです。僕はずっとパチンコをやっていて、白夜書房の編集者時代はパチンコの雑誌『パチンコ必勝ガイド』も出したりして、パチンコにはけっこう世話になった。それでパチンコ中毒にもなっちゃったんですけれど、アハハハ。
── コロナ禍でパチンコが悪者扱いされ、パチンコ店がバッシングされましたね。
末井 自分も編集者時代は、そういう「不要不急」の雑誌ばかり作ってきたんですが、役所や社会が「不要不急」なんて言っていることでも、緊急に必要としている人だっているかもしれない。僕みたいに、それで救われる人だっているのではないかと。朝日新聞にはそういうことを話したんです。その記事を読んだ中央公論新社の編集者が、「不要不急の人生論でも書きませんか」と言ってくれて、コロナ禍で巣ごもりしていることもあって、書かせてもらうことにしたのです。
── 著書では「この年になるまで自分が老人であるとか、いつ死ぬだろうかとか、まったく考えたことがありませんでした」と書いています。末井さんは100歳まであと26年もありますね。
末井 100歳まで生きるとすると、今度は健康でいられるかどうかが心配になってきます。僕は今、74歳なんですが、病気になって死んでいくのは嫌。健康でコロっと逝(い)くのが理想なんです。だからといってジムに通うのも嫌だし、面倒くさいことはやりたくない。朝の散歩は気分爽快になるので、自宅近くの砧(きぬた)公園(東京都世田谷区)を毎朝1時間歩くのが日課なんです。今朝はうちの奥さん(写真家の神蔵美子さん)と一緒に歩いてきました。
床下にあったダイナマイト
編集者時代に『パチンコ必勝ガイド』をはじめ『ウイークエンド・スーパー』『写真時代』など、刺激に満ちた話題の雑誌を次々と世に送り出してきた末井さん。2012年10月に白夜書房を退職後、執筆したエッセー『自殺』(朝日出版社)が第30回講談社エッセイ賞を受賞した。大きなテーマに据えたのが、岡山県の山間部で育った小学生時代に、母親がダイナマイト心中するというショッキングな出来事だった。
── 『自殺』を執筆したきっかけは?
末井 朝日新聞が09年、僕のところにインタビューにきたんです。自殺についてどう考えますかと。そのインタビュー記事を見て、朝日出版社から「自殺」について書いてくれと依頼がありました。3カ月に1回ほど打ち合わせを重ねていたら、11年に東日本大震災が発生して、これは何かしないといけないとウェブ連載を始めたんです。僕自身、会社を辞めて、これからどうしようと思っていた時だった。1年間12回連載して、13年秋に本になったのですが、連載中も反響がありました。
── 母親が不倫相手の若い男とダイナマイトで心中したということですが、記憶にありますか。
末井 断片的にはね。おふくろは肺結核で隔離病棟に入っていました。だから、おふくろと一緒にいる時間があまりなかったので、記憶は定かではありません。当然治療費もかかりますから、父親は田んぼなどを全部売っちゃって、家は貧乏でした。医者に見放されたのか治療費が底をついたのか、僕が7歳のころ、病院から家に帰ってきたんです。それから1年もたってなかったと思う、自殺したのは。おふくろが30歳の時、22歳の男と。鉱山の仕事…
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週刊エコノミスト
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