「歴史」を戦略的に活用。高級ブランドに学ぶ戦略的マーケティング 評者・諸富徹
『ラグジュアリー産業 急成長の秘密』
著者 ピエール=イヴ・ドンゼ(大阪大学大学院教授)
有斐閣 3190円
2022年の世界長者番付で米起業家イーロン・マスク氏を抑えてトップに立ったのは、フランスの高級ブランド、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)のベルナール・アルノー会長だった。
近年、LVMHだけでなくシャネル、エルメス、ディオールなど高級ブランドが台頭し、株式時価総額で欧州企業の上位にランクインするようになった(LVMHは19年の4位から22年の1位に上昇)。コロナ禍を経て一層存在感が増した高級ブランドの強さの秘密は何か。それが本書の主題である。
ラグジュアリー産業とは、ファッション、時計・宝飾品、革製品、アクセサリーなどの高級消費財を製造・販売する産業を指す。著者はこの産業が1980年代から90年代にかけて台頭した背景には、①市場のグローバル化、②多国籍企業化、そして、③新しいマーケティング戦略の採用があったと指摘する。
70年代までラグジュアリー産業は、家族経営の中小企業が主に欧州域内の富裕層向けに高級品を生産する、ニッチ市場にすぎなかった。ところが80年代以降、アメリカに代わって日本、香港、続いて中国が巨大市場として立ち上がると、市場はグローバル化した。これに対応すべく、ラグジュアリー産業は多国籍化し、コングロマリット化した。
とりわけLVMH、リシュモン、ケリングの3グループは、コングロマリットの強みを生かして競争優位を築いてきた。彼らは金融、不動産、物流など、ブランド維持に必要な重要資源をグローバルに管理する能力をもち、付加価値の源泉たる工芸的創造性を高めるための投資を行う巨大な資金力をもち、さらにグループ総体としてブランド価値を最大化するマネジメント能力をもつのだ。
ただ、ここまでなら他の産業にもありうる展開だ。ラグジュアリー産業に最も特徴的なのは、「歴史」(出自、古い起源、シンボルの使用など)をマーケティング資源として活用する組織的な戦略にある。彼らは自らの価値を、歴史に由来する神話として紡ぎ出し、唯一無二性を強調するのだ(「ストーリーテリング」)。それは彼らの製品に、モノとしての価値以上の無形的な価値をもたらし、消費者に特別感を与える。これこそ、彼らが獲得する高収益の源泉だ。
著者は、彼らの戦略から学ぶことで、日本企業がコスト削減の泥沼から抜け出し、新しい価値創造への道筋を見いだせるはずだ、と結論づける。ビジネスの最前線にいる方々にもぜひ読んでいただきたい一冊だ。
(諸富徹・京都大学大学院教授)
Pierre-Yves Donzé 1973年スイス生まれ。ヌーシャテル大学人文学部卒業。京都大学白眉センター特定准教授を経て、2016年より現大学院経済学研究科教授。専攻はグローバル経営史。
週刊エコノミスト2023年2月28日号掲載
書評 『ラグジュアリー産業 急成長の秘密』 評者・諸富徹