教養・歴史書評

現代中国社会のキーワード、“内巻”“躺平”の次は“倦怠” 菱田雅晴

 ここ数年来、“躺平”が現代中国社会を切り取るキーワードとして注目されてきた。“躺平”とは「寝転ぶ」という意味で、“内巻”つまり過度の競争に倦(う)み疲れた若者の行動として、“躺平族”とも呼ばれた。“内巻”とは、米人類学者、クリフォード・ギアツの「involution」の中文訳だが、そもそもの原義を超え、受験地獄、出世戦争に象徴される中国社会の競争関係の冷酷さを示すもの。

 これら“内巻”“躺平”に次ぐ現代中国社会を切り取る新たなキーワードとして“倦怠(けんたい)”が注目されている。韓炳哲著(王一力訳)『倦怠社会』(中信出版集团、2019年、原書:Müdigkeitsgesellschaft)が好評で、「清新な文風、清晰な思想、深察洞識」と張志偉、夏可君ら中国識者から高い評価が寄せられている。韓炳哲(Byung-Chul Han)は韓国ソウル生まれでドイツ在住の気鋭の社会思想家。フライブルク大学で博士号を取得した後、スイスのバーゼル大学、ベルリン芸術大学で教鞭をとった。『透明社会』『疲労社会』ほか20冊以上の彼の著作は英語、仏語等各国語に翻訳され、日本でも花伝社から訳書が出版されている。

 倦み疲れるといっても、倦怠感と疲労感は同じではない。倦怠感とは、体がだるい、重いといった身体的状態のことだが、その原因がはっきりとは分からないのに対し、激しい運動や肉体労働などある程度疲れの原因がはっきりしているのが疲労感。

 同書は、こうした不透明な倦怠感の背景として、セクシュアリティー、メンタルヘルス、暴力、自由、テクノロジー、大衆文化など技術主導の社会が遭遇するさまざまな状況を探求し、特に、否定性社会から肯定性へのパラダイム・シフトによるうつ病、注意欠陥多動性障害、燃え尽き症候群などの社会病理を描いている。

 韓によれば、忍耐強く失敗してはならないという要求、そして効率性への野心に駆り立てられて、ひとびとは自己搾取者となり、崩壊の渦に陥るという。戦争、拷問、テロなどで表現される暴力のあからさまな身体的症状が否定的な暴力であり、肯定的な暴力は「過剰達成、過剰生産、過剰コミュニケーション、過度の多動性」として現れるという。“内巻”“躺平”にも倦み疲れた中国社会の現況を見事にえぐり出している。

(菱田雅晴・法政大学名誉教授)


 この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。


週刊エコノミスト2023年2月28日号掲載

海外出版事情 中国 倦怠──中国社会の新キーワード 菱田雅晴

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