紀伊國屋演劇賞の個人賞を受賞――柴田義之さん
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俳優、「劇団1980」座長 柴田義之/77
舞台の第一線で活躍を続け、70歳を超えて円熟味をさらに増す俳優の柴田義之さん。座長を務める「劇団1980」では海外公演にも精力的に取り組む。その根源にあるものとは──。(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)
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── 「第57回紀伊國屋演劇賞」(紀伊國屋書店主催)の個人賞受賞が昨年12月に決まりましたね(贈呈式は今年1月24日)。
柴田 ありがとうございます。この賞は、(「劇団1980」の主宰者、劇作家だった故)藤田傳(でん)が第29回の時にもらったんです。その贈呈式に来いと言われて、会場のホテルニューオータニ(東京都)に行ったことを覚えています。その時、藤田から「いつかお前も取れよ」みたいなことを言われて、それがようやく実現したという感じですね。
── 受賞の理由は、俳優座劇場プロデュースの演劇「夜の来訪者」とオフィス江原「北の大地、南の島。」の2本の演技が評価されました。
柴田 僕としては劇団1980が手がけた「検察官」(モルドバの演出家ペトル・ヴトカレウによるゴーゴリ原作の戯曲)で取りたかったので、うちの劇団内では風当たりが強いんですよ、アハハハ。「検察官」は僕たちにとって自信作だったし、みんなに「これはすごい」と言われていたんですが……。
── 受賞のスピーチでどんなことをしゃべったのですか。
柴田 よくぞ私のような者を選んでいただいた、と。日本には私のように、名もなく貧しくあまり美しくもない俳優がいっぱいいますので、「柴田がもらったんだからオレも」「もう少しすれば自分の番かもしれない」という人の励みになるのではないか。それと、もし次回もらえるのであれば、藤田傳の作品で劇団1980が団体賞を欲しいと締めくくりました。
現在は所属劇団員15人の「劇団1980」座長を務める柴田さん。70歳を迎えてなお、一俳優としてもさまざまな劇団の舞台に立ち続ける。どんな役でもこなしてしまう大ベテランであり、自分の中で役を消化して湧き出させる演技が魅力を放つ。「自分の中で、こういうセリフを言う人はどういう人なんだろうと考えることで、人物が浮き上がってきます。『いろんな人生をやれるから俳優はいい』と言われることがあるけれど、自分の中では他の人生をやっている気がしないんです」と柴田さんは言う。
舞台美術を排した「素劇」
── 劇団1980としては今年3月、1974年に起きた「別府3億円保険金殺人事件」を基に藤田傳が書き下ろした戯曲「豊後訛(なま)り節」を東京芸術劇場(東京都)で公演したほか、深沢七郎原作の「素劇(すげき) 楢山節考」を6月4日にモルドバ、同6日にルーマニアで公演する予定ですね。
柴田 「豊後訛り節」はすごく評判がよかったので、2年前に東京・下高井戸の「HTSスタジオ」という小さな劇場で再演したのを今回、東京芸術劇場でもやりました。モルドバとのかかわりは、95年にルーマニアで開かれた「シビウ国際演劇祭」に僕らが出たのがきっかけです。その演劇祭に参加していたモルドバの劇団「ウジェーヌ・イヨネスコ劇場」の「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケットの戯曲)がものすごく面白くて、それから交流するようになりました。彼らのところへもう10回ぐらい公演に行っています。
── モルドバはウクライナとルーマニアの間にありますが、ロシアのウクライナ侵攻の影響は?
柴田 モルドバからも逃げる人がいて今、大変ですよ。劇団の若い俳優でも、危ないからと逃げていった人がいるらしいんです。モルドバはもともとルーマニアの一部だったんですが、ソ連のスターリンによってルーマニアとモルドバに分割され、ヨーロッパの最貧国といわれています。けれど、そんな国でもイヨネスコ劇場はすごい芝居をやるんですよ。
「検察官」はロシア皇帝時代の腐敗した官僚を笑い飛ばす芝居ですが、イヨネスコ劇場を見に来る人はソ連の官僚たちのことをやっているとみんな分かっています。モルドバはソ連、ロシアにめちゃくちゃいじめられていたわけですよ。だから、ロシア人が官僚を笑い飛ばすよりも、権力者に対してもっと辛辣(しんらつ)なんです。
── 「素劇」は劇団1980が得意としている演出手法ですね。舞台美術を極力排する代わりに、舞台上の俳優が白いロープを使って瞬時…
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週刊エコノミスト
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