映画「オッペンハイマー」 ノーラン監督が参考にした本もベストセラーに 冷泉彰彦
この夏、アメリカではクリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」が大きな話題となった。原爆開発の「マンハッタン計画」の責任者で、物理学者のロバート・オッペンハイマーの伝記映画である。この映画に関しては、原爆による真っ赤な火球のデザインを宣伝に使うなど、マーケティングには不謹慎な姿勢が見られるし、本稿の時点では日本での公開が未定となっているのが気になる。
一部には、広島、長崎の悲劇を直接描いていないという批判はあるが、これは分断の時代において、無意味な論争に巻き込まれるのを避けた自主規制であったとも考えられる。いずれにしても、賛否が問われる問題だ。作品全体としては、冷戦期に赤狩りの標的にされたエピソードを中心に、オッペンハイマーという人物の多面性や、時代状況の中での葛藤を通じて、最終的には核兵器への反対というメッセージを潜ませた傑作と思う。
ノーラン監督は自身で脚本を書いているが、その際に参考にしたのが『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(原題は "American Prometheus"、カイ・バード、マーティン・シャーウィンの共著、2005年)である。厳密な意味での原作とは違うが、映画の母体となった作品として現在、改めてベストセラーになっている。本書は、シャーウィン(故人)という冷戦期の歴史学者と、バードという核兵器問題を中心に活動してきたジャーナリストの共著である。
両名ともに、核兵器の存在自体に厳しい問題提起を行っているが、同時に問題に対する賛否両論の立場を広範に調べて、論争のための材料を提供しようという公平な視点にこだわっている。それぞれが広島・長崎への核攻撃に関する検証を行った大冊を公刊しているが、そのような公平な視点が貫かれている。また本書におけるオッペンハイマーとその周辺の人物に関する精緻な書き込みにおいても同様だ。
その結果、700ページを超える大冊となっているが、これが売れているということには映画の人気に触発されただけでなく、ロシアや北朝鮮の動向など核兵器を巡る危機感が反映していると考えられる。
(冷泉彰彦・在米作家)
この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。
週刊エコノミスト2023年9月12日号掲載
海外出版事情 アメリカ 「オッペンハイマー」、原作本もベストセラーに=冷泉彰彦