「皇帝史観から民衆史観へ」との論法からしのばれる中国知識人の勇気 菱田雅晴
歴史は、過去を紡ぐとともに現在をもそこに映し出す。特に、中国にあっては、1965年11月10日、姚文元(ようぶんげん)が上海紙『文匯報(ぶんわいほう)』に発表した「新編歴史劇『海瑞罷官(かいずいひかん)』を評す」が文化大革命の端緒となったことにも象徴されるように、歴史評価にはその時点の政治状況が直接反映される。
歴史学者、呉晗(ごがん)が書いた『海瑞罷官』を姚文元が毛沢東の彭徳懐(ほうとくかい)解任と結びつけ、毛沢東を誹謗(ひぼう)するものと激しく批判、これを受けて翌年5月16日の「中国共産党中央委員会通知」(五一六通知)により、以後10年にわたり中国を大混乱に陥れたあの文革がスタートしたのだった。
王笛著『碌碌有為』(上・下、中信出版、2022年)は、王朝の盛衰に関連する循環現象で歴史をみる皇帝史観から一歩踏み出し、ミクロの社会、民衆そして日常生活にこそ目を向けるべきだと主張する歴史書だ。「歴史を顕微鏡の下に置き、庶民の声に耳を傾けてこそ、生き生きとした血の通った歴史を見ることができ、中国社会の花火と温度を感じることができる」とミクロ歴史観を提唱する著者、王笛・マカオ大学教授は、ジョンズ・ホプキンス大学で学位取得後、四川大学、テキサスA&M大学、カリフォルニア大学、華東師範大学教授、在米歴史学会会長等を歴任した。この近代史研究分野の泰斗が語るのは王朝時代から清末に至る民衆史からの教訓である。
王笛教授は「権威主義的な中央集権の下では安定した体制は築けない」「高度に中央集権化された政府は不安定であり、社会と個人が十分に参加し、それぞれの役割を果たすことができるシステムが最も耐久性がある」と説く。清朝滅亡を例に、「ピラミッド構造そのもの、つまり皇帝が権力を独占すること」自体が致命的なアキレスけんだったと指摘、「皇帝が最高権力者であったため、すべての役人が皇帝に隠し事をした」結果、「皇帝は発生した問題を見ることができず、上から下までみなその場しのぎで、問題の現実を避け、誰も責任を取ろうとしなかった」と論断喝破している……。
これらに今日の中国を嗅ぎ取るのは評者だけではあるまい。閉塞(へいそく)を余儀なくされる中国知識人にとって、勇気ある、唯一の選択が歴史に政治を仮託することのように思われる。
(菱田雅晴・法政大学名誉教授)
この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。
週刊エコノミスト2023年10月3日号掲載
中国 ミクロ史観で見る中国。現状批判のにおいも=菱田雅晴