教養・歴史書評

人類が本来享受できる利益に向け、女性の発明を阻害した過去に学ぶ 評者・後藤康雄

『これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話 イノベーションとジェンダー』

著者 カトリーン・キラス=マルサル(ジャーナリスト) 訳者 山本真麻

河出書房新社 2310円

「イノベーションとジェンダー」という副題に本書の問題意識が端的に表れている。男性向けに構築された私たちの社会の偏った認識は、数々のイノベーションの価値評価を妨げてきたのではないか──。人類を支えるテクノロジーのあり方に、本書はフェミニズムの視点から疑問を投げかける。

 著者が女性ジャーナリストということもあり、やや目線を変えた男性批判と思われるかもしれないが、そうではない。合理性を欠く認識バイアスによって、人類全体として本来享受できるはずの利益を失い、社会の発展が阻害されている、と本書は訴える。

 具体例の一つとして、今日広く使われるキャスター付きスーツケースが紹介される。スーツケースは19世紀に発明され、車輪ははるか昔の5000年以上前に作られていた。それらを組み合わせた車輪付きスーツケースも1970年代までに登場していた。しかし、それはあくまで“非力な”女性の一人旅用というニッチ商品であった。

 画期的な製品も、価値が認められ、広く受け入れられなければイノベーションにはならない。キャスター付きスーツケースの普及には、「男性らしさ」への認識の変化があったと著者は主張する。女性のスーツケースをたくましく運ぶかつての男性像から、自ら車輪でコロコロ転がしても情けなくみられなくなった時代の変遷こそ重要というのである。

 この他にも著者はさまざまな事例を挙げる。例えば、かのエジソンが推したにもかかわらず、電気自動車ではなく、ガソリン車が市場を席巻してきた。その背景として、黎明(れいめい)期の車に、男性ならではの腕力が必要な始動操作があったと指摘する。

 ジェンダー認識バイアスは、イノベーションの受容のみならず、アイデアの実現プロセスも左右する可能性がある。本書は、障害者の女性がローレーター(歩行補助具)を製品化する際、いかに資金調達などが困難だったかという事例を示す。ただでさえ新製品の評価は難しい。事業経験に乏しく、身体にハンディがある女性の苦労は想像に難くない。

 本書の内容は価値観に関わる部分があり、読者の受け止め方は分かれそうだ。しかし、世界の趨勢(すうせい)は本書の問題意識に沿っている。数々の客観データから日本の立ち遅れは否めない。逆説的にいえば、女性のノーベル賞受賞者も首相も中央銀行トップもいまだ出現していない日本にこそ、刺激に富む内容のようにも思える。

(後藤康雄・成城大学教授)


 Katrine Kielos-Marçal スウェーデンの新聞『Dagens Nyheter』紙記者。政治、経済、フェミニズム関連の記事を多く寄稿。初の著作『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』は世界20カ国語に翻訳された。


週刊エコノミスト2023年10月24日号掲載

『これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話 イノベーションとジェンダー』 評者・後藤康雄

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