旧ソ連の紛争地で現地人と面談した研究者が語る露ウ戦争の本質 評者・田代秀敏
『ウクライナ動乱 ソ連解体から露ウ戦争まで』
著者 松里公孝(東京大学大学院教授)
ちくま新書 1430円
ロシアとウクライナとの戦争(露ウ戦争)が世界を震撼(しんかん)させている。
しかし、「ウクライナの政権の言い分を疑うことは、プーチンの擁護である」と自主規制するメディアの報道は、ウクライナや同国を支援する米欧の側の発表や報道を検証なしに紹介し、「親露派対親欧米派という二項対立が、現地について何も知らなくても現地情勢を説明できてしまう魔法の杖(つえ)のように振られる」
ウクライナを含む旧ソ連圏諸国における紛争を専攻する著者は、個々の紛争の現場を時には命懸けで訪れ、現地の人々と直に面談してきた。後に激戦地となるバフムトやマリウポリも訪れている。西側メディアが報じない「ウクライナ軍と準軍事組織が行う破壊、殺人、傷害、拷問」を調査する弁護士とも面談した。
露ウ戦争に至る経緯と戦争の展開とを、著者はウクライナの内側から、「出来事の連鎖」として描き、さまざまな集団の生の声を紹介する。
著者は1989~91年にレニングラード大学に所属し、90年代半ばにハーヴァード大学のウクライナ研究所でウクライナ語を学び、米国の専門誌に寄稿した英語論文は米国で極めて高く評価されている。戦争で現地に行けない今は、ウクライナやロシアのテレビニュースを直接視聴して調査を続けている。
そのため例えば、西側メディアが英雄扱いするゼレンスキー大統領を、「ソ連圏で盛んな学生グループ・コントで才能を開花させ、ほぼモスクワに住んで旧ソ連中を巡業」した「前職で培った本能」から「戦争をショウとして演出するのはゼレンスキーの得意技」だと評価する。
だが著者はロシア寄りではない。「ロシア指導部は、自国の安全保障上の死活の問題についてさえ統一した方針を持たない」とロシアにも辛辣(しんらつ)極まりない。
「ロシア軍が最初に襲ったチェルニヒウに義母が住んでいる」著者はウクライナの首都を「キエフ」と表記する。「これは別にロシア語ではなく、原初年代記にもあるこの都市の歴史的呼称である」。ウクライナの首都は現代ウクライナ語で「クィウ(クィヴ)」であり、「『キーウ』と発音してもウクライナ人には何のことかわからない」
「露ウは切っても切れない関係にあり、両者が普通の主権国家として綺麗に株別れすることはありえない」「プーチン政権を打倒しても、ウクライナはよくはならない」など「本書はかなり際どい内容を含む」。だからこそ、露ウ戦争の本質を知るのに最も役に立つ一書なのである。
(田代秀敏・infinity チーフエコノミスト)
まつざと・きみたか 1960年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門はロシア帝国史、ウクライナなど旧ソ連圏の現代政治。著書に『ポスト社会主義の政治』『ロシア・ウクライナ戦争』(共著)など。
週刊エコノミスト2023年10月31日号掲載
『ウクライナ動乱 ソ連解体から露ウ戦争まで』 評者・田代秀敏