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教養・歴史 書評

関東大震災に遭遇した文学者の言葉に人間についての洞察を読む 評者・池内了

『NHKテキスト こころをよむ 文豪たちが書いた関東大震災』

著者 石井正己(国文学者・民俗学者)

NHK出版 880円

 関東大震災に関わる本は数多く出ており、まして今年は勃発100年で、古記録や知られざる悲劇の発掘などをクローズアップした著作が目白押しである。地震国日本であり、首都を襲う関東地震から逃れられない宿命であることを考えれば、やはり100年前の関東大震災で被った災害と、災禍に紛れて生じた朝鮮人虐殺などの不祥事について、知っておく必要があると思う。繰り返してはならない教訓が多くあるからだ。

 その意味で本書のような、関東大震災に直面した作家たちが、地震とその後の混乱にそれぞれ遭遇して書いた見聞記は、あたかも各地に記者を派遣してまとめた記録のように全体像をつかむのに適している。著者は関東大震災に関する文豪たちの著作を網羅した本をいくつも出版しているが、あえて今放送されているNHKのラジオ番組のテキストをここで紹介するのは、著者とともに、この歴史的震災を同時代史のごとく耳と目で追体験するのも意味があると考えたためである。

 本書の前半部の放送は終わっているが(2カ月間はネットで無料で聴ける)、深川や浅草や麹町などの東京市内で突然発生した地面の揺動に驚き、繰り返す余震におびえて避難する状況を描いた文章が集められている。田端に住んでいた芥川龍之介は地震が起こるやすぐに屋外に出て、妻の文(あや)から「赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」と叱られ、「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」と言ったそうだ(文の追想記)。避難の際、妻は子どもたちの衣服を持ち出したのだが、芥川は漱石の書一軸のみを抱えて出た。芥川の人柄がわかるようである。

 横浜から鎌倉・箱根・千葉など東京周辺部でも大きな被害があった。房総半島の保田(現在の鋸南町(きょなんまち))の高台にある靉日(あいじつ)荘に隠れ住んでいた物理学者の石原純と歌人の原阿佐緒は、津波(海嘯(かいしょう))に襲われる心配のない自宅を開放し食糧を提供した。阿佐緒は「暗き丘辺 大地震の日」として歌十首を残している。

 直接ラジオで聴ける後半部では、流言・虐殺・復興という大震災に付随して生じた事柄に関するスケッチである。当時ロンドンに滞在していた柳田国男は急いで帰国し、ひどく破壊された東京を見て「本筋の学問(民俗学)のために起(た)つという決心をした」と回想している。希代の大災害に遭遇しての文豪たちの文章や行動から、かれらの人柄をうかがい知るとともに、切迫した状況での人間について洞察を得た思いである。

(池内了・総合研究大学院大学名誉教授)


 いしい・まさみ 1958年生まれ。東京学芸大学名誉教授。柳田國男・松岡家記念館顧問。著書に『文豪たちの関東大震災体験記』『菅江真澄と内田武志』『感染症文学論序説』などがある。


週刊エコノミスト2023年11月21・28日合併号掲載

『NHKテキスト こころをよむ 文豪たちが書いた関東大震災』 評者・池内了

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