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東大号60th記念鼎談 「灘の時代」と大学受験を変えた共通1次 1974~83年 東大合格者高校別ランキング・ベスト20史 

東大安田講堂
東大安田講堂

 進学校はかく変わりき/2

 1964年に始まった東大合格者高校別ランキングの60年間を振り返る記念シリーズの第2回は79年の共通1次試験導入をはじめ、激動の10年間を振り返る。今に続く中高一貫校の上位独占が定着する一方、教育制度改革の影響を受けながら公立校も健闘を続ける。

〈「なぜ俺の番号がないんだろう」

 東大文Ⅰ(法学部)の合格発表の掲示板を見て、三年連続、三度そう思いました〉

 岸田文雄首相は2020年に出した著書『岸田ビジョン』の中でそう述べている。父の元衆院議員、文武(ふみたけ)氏やいとこの宮沢洋一参院議員ら〝東大一家〟に育った岸田首相が東大志望だったことはよく知られる。1973年、麹町中から開成に入学。同書では〈「まあ、俺も行けるだろう」と安易にそう考えていたのです〉と正直に告白している。

 結局、岸田首相は「東大とは縁がなかった」として78年、早稲田大に進学するが、翌79年に共通1次試験が導入され、国公立大入試は大きな転換点を迎える。

 灘はなぜ強いのか?=旧制中学の人材が固めた躍進の礎

 岸田首相が1浪で臨んだ77年度入試(77年4月入学)で、開成は初めて東大合格者ランキング1位となった。だが翌年、たちまち灘に巻き返される。

――74~83年のランキングを全体的にご覧になって、いかがでしょう。

駿台予備学校・石原賢一入試情報室部長 いよいよ私立全盛期ですね。

大学通信・井沢秀情報調査・編集部長 「灘の時代」と呼べるんじゃないでしょうか。第1回(64~73年)で申し上げたように、灘の東大合格者数は70年の151人が最高ですが、前年の東大入試中止で京大など他大学に入学した「仮面浪人」が多くいたことを考えると、81年の139人が一つのピークだとも言えます。

教育ジャーナリスト・小林哲夫 70年前後に灘に通っていたOBに話を聞くと、灘は60年代後半から東大合格者を増やしていますが、50年代は京大が多かった。旧制第一神戸中学校が新制神戸高校になった時、15歳までの生徒の受け皿として臨時の併設中学が設けられました。しかし神戸高校は小学区とされ、学区外の生徒は進学できなかった。行き場のない優秀な生徒を受け入れたのが灘でした。その子たちが京大に行き、やがて東大合格者を生み出す進学校となるきっかけになった。そういうことが灘の学校史に書いてあります。

石原 それに加えて、灘は強制配転を嫌った公立校の先生を受け入れました。私は81年に駿台に就職しましたが、その頃の予備校にも神戸高校を辞めた教授力のある講師が大勢いました。

――灘が初めて1位となった68年の『サンデー毎日』4月7日号によると、公立高校から灘にスカウトされた教師15人のうち4人が神戸からの転職組だったそうです。〈旧制神戸一中のいいところと灘高校の前身、旧制灘中学(昭和二年創立)の伝統とがうまく重なり合って〉と書かれています。

 「安全志向」の始まり=共通1次試験が変えた受験生気質

 79年、共通1次試験が始まった。国公立大の併願が可能だった「1期校・2期校制」が廃止され、1校しか受験できなくなった。高校での学習成果を測れる良質な出題だとして評価された一方、「偏差値」に頼り切った進路指導や大学の序列化を招いたとされる。

――小林さんは〝共通1次1期生〟世代ですね。当時はどんな状況でしたか。

小林 とにかくマスコミの報道がすごく、共通1次で受験がどんどん大変になるんじゃないか、といった雰囲気でした。80年の金属バット両親殺害事件の彼も79年の高校卒業なんです。2浪目に事件を起こしています。いろんなことで受験生が話題になり、「僕らの世代ってすごいんだな」というのが率直な思いでした。

石原 一番大きかったのはテストの内容よりも、入試制度の変更ですよね。国公立大を1校しか受験できないのは特に地方の公立高校の生徒にとってはきつい。首都圏以外は国公立大志向が今よりずっと高かった時代ですから。しかも自己採点をして出願するという方法に変わりました。その段階で「ここのレベルだよ」という判定が1回出ると、いわゆる〝安全志向〟になってしまう。東大を狙うとなると2次試験に相当自信を持っている層しか願書を出せなくなりました。

――受験生の安全志向は今やすっかり根付きました。

石原 その始まりですよ。だから79年度入試は東大の倍率がすごく低かった。第1段階選抜はほぼなかったんじゃなかったかな。

小林 なかったと思います。

石原 ほとんどの大学が第1段階選抜をやると発表していて、秋に予備調査をやったら軒並み第1段階選抜の予測ラインを超えた。高倍率に恐れをなしてみんな逃げてしまったんです。

 千葉、浦和、湘南…=三つの県立トップ校が健闘した理由

 60年代に全盛だった都立高は77年に西が10位に入ったのを最後にベスト10から姿を消す(2018年に日比谷が9位に復活)。一方、千葉・県立、埼玉の浦和・県立、神奈川の湘南が10位以内ないしそれをうかがう位置をキープしている。

――東京を除く首都圏の公立校が存在感を発揮している印象があります。

小林 私は69年に神奈川県鎌倉市に引っ越したんですが、そこは湘南の学区なんですね。高度経済成長で東京のベッドタウンが一気に広がっていく時代でした。東京から出て鎌倉や戸塚、藤沢に住んだベッドタウン組の教育熱心な保護者が子どもを栄光学園などの私立よりも、地元の公立中高に行かせる傾向が80年代まで続いたのかなと思います。この時期、千葉・県立や浦和・県立が頑張っているのも同じ背景があったんじゃないでしょうか。

井沢 私も神奈川県相模原市出身で、地元の公立中学校に通いました。中学受験はそれほど活発ではなかったですね。小林さんがおっしゃるように、この時期の神奈川は湘南の時代と言えます。ただ湘南は80年代後半から合格実績を落としていく。ア・テスト(*)や小学区制の影響により、成績上位層が私立中を選ぶ動きが出てきます。

――人口分布の変化や自治体の教育行政のあり方などが受験地図にダイナミックに反映されるのが面白い。

井沢 やはり家庭の状況は大きい。少し後になってベスト20に顔を出す愛知の公立校の岡崎は、トヨタ自動車のお膝元で研究所も立地されている土地柄だけに教育意識の高い家庭が集まっている。従って進学実績が伸びるんだと思います。

石原 一方で地方の公立校がランキングから消えてしまいます。これは共通1次のせいです。というのは地方の国立大は共通1次の配点が高かったので(2次試験勝負の)東大を狙うより、共通1次を頑張って地元の国立大を受けるほうが確実だった。京大は今よりずっと1次重視でしたし、大阪大、東北大もそうでした。

 「医学部志向」前夜=ランキング常連のラ・サール、愛光

小林 この10年ではラ・サールがトップ5に入っていますし、愛光も強いですね。関西あたりからも生徒が進学していたのでしょうか。

石原 たくさん行ってました。だから浪人したら駿台大阪校に通うんです。激励会にはラ・サールや愛光の先生が必ず来られました。

小林 ラ・サールも東大志向が強かったんですね。

石原 理科系に強いのが灘ですが、ラ・サールは文科系が多かった。東大の実戦模試で数学の問題が易しいと、灘の先生からクレームが来ました(笑)。

井沢 ラ・サールや愛光は医学部合格実績で定評がありますが、この頃はまだ東大より医学部を目指す傾向がそれほど強くなかった?

石原 今ほどは強くないですね。それでも徐々に西日本の学校は医学部志向が強くなっていきますね。

――ラ・サールといえば、72年の羽田―鹿児島間の直行便4便化をきっかけに東大合格実績を上げたと小林さんが書かれています。

小林 JALとANAに電話して聞いて調べたんですよ(笑)。因果関係を求めるのは難しいんですが、灘の先生も(64年に開通した)東海道新幹線が大きいと言っていたので、全く関係ないとは言えないかと。

井沢 精神的な距離が縮まるということですからね。

――82年にいよいよ開成の快進撃が始まります。その背景にも交通網の整備があるようです。「連続1位」の裏側を含め、次回(84~93年)詳しく見ていきます。


(*)ア・テスト 神奈川県内の公立中学校の生徒を対象に実施されたアチーブメントテスト。中2の3学期に行われ、結果は調査書とともに県立高の選抜資料として重視され、「神奈川方式」と呼ばれた。中学生の早い時期から入れる高校が決まってしまうなどと批判も多かった。1997年に廃止された。


いしはら・けんいち

 駿台予備学校入試情報室部長。大阪府出身。1981年に駿台予備学校に入職。学生指導や高校営業を担当後、神戸校舎長、駿台進学情報センター長、進学情報事業部長を経て現職

こばやし・てつお

 1960年生まれ。教育ジャーナリスト。神奈川県出身。特に90年代以降、受験など大学問題を中心に執筆。著書に『早慶MARCH大学ブランド大激変』『東大合格高校盛衰史』など。近著は『筑駒の研究』

いざわ・しげる

 1964年生まれ。大学通信情報調査・編集部長。神奈川県出身。92年、大学通信入社。入試から就職まで、大学全般の情報分析を担当してきた。新聞社系週刊誌や経済誌などに執筆多数

ほり・かずよ

 1964年生まれ。編集者、ライター。鳥取県出身。89年、毎日新聞社入社。元『サンデー毎日』編集次長。2020年に退職してフリー。著書に『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)など

「サンデー毎日2月11日号」表紙
「サンデー毎日2月11日号」表紙

 1月30日発売の「サンデー毎日2月11日号」には、1984~93年の「東大合格者高校別ランキング・ベスト20」を掲載しています。今春の「東大号」は「サンデー毎日3月24日号」で3月13日発売です。

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