「AIエージェント」はアプリのない世界を実現するか 長谷佳明
マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ氏が2023年11月、米国の最大級の投稿サイト「レディット」で「AI is about to completely change how you use computers」(AIはコンピューターの使い方を完全に変えようとしている)と題した論考を公開した。
この中でゲイツ氏は、コンピューターやスマートフォンの使い方は、現在のように多数のアプリケーションを用途に合わせて使い分ける時代がまもなく終わり、今後5年以内にあらゆる作業が「AIエージェント」を介したものに代わると予想している。ゲイツ氏は明確に述べていないが、AIエージェントが普及した未来では、ほとんどの作業はエージェントを通して可能になり、アプリは事実上消滅しているのかもしれない。
しかし、「エージェントこそが未来」と論じることに、違和感や既視感を覚える人もいるだろう。かつて、マイクロソフトのソフトウエアにはユーザーの質問に答えるなどで、サポートする「Officeアシスタント」と呼ばれる“エージェント”があった。例えば、Office97やOffice2000などをインストールすると、起動時にクルリとかわいくターンして出現するイルカ型のキャラクター「カイル」である。
残念ながら、カイルはヘルプ検索以上の機能がなく、有望なアシスタントとは言い難かった。このため初めての出会い(初回の起動)を最後に、お別れした(機能をオフにした)ユーザーも多いのではなかろうか。カイルは、コンセプトこそ斬新であったが、当時はAIに関する技術が未成熟で、あまり役に立たなかった。
AIエージェントが秘書やコンサルタントに
ゲイツ氏は、先の投稿の中で、今後登場するであろう「AIエージェント」と、従来の「Officeアシスタント」が、どう異なるかを巧みなアナロジーで解説している。
Officeアシスタントは「ダイヤル式電話」、AIエージェントを「スマートフォン」に例え、両者は「電話する」という基本的な部分は共通しているが、価値が全く異なる点を指摘している。そして、Officeアシスタントは、特定のタスクを決められた通り遂行する「ボット」にすぎず、ユーザーの行動を理解し、有効なサジェスチョンを与える「エージェント」ではなかったとした。
ダイヤル式電話は、電話という一つのタスクに特化しているのに対し、スマートフォンは、さまざまな機能を取り込み、メッセージを送ったり、写真や動画を撮影したり、ECサイトで商品やお気に入りの本を注文するなど、コミュニケーションやサービスに関わる複数のタスクを実行できる。
可愛いだけが取りえであったカイルは、生成AIによって別物に進化し、「Copilot for Microsoft 365」と姿を変え帰ってきた。将来的に、Copilotは、私たちが日常業務で利用しているアプリケーションと連携し、それを取り込むことで、機能を飛躍的に拡大するだろう。スケジュール調整をしたり、資料の草案を用意したりするなど、ユーザーを最もよく知る、専任の秘書やコンサルタントのようになっていくものと思われる。ヘルプに特化したボットであったOfficeアシスタントとは、根本的に異なるのである。
アップルとグーグルの次の戦略
AIエージェントが有望視される活用先の一つが、マイクロソフトの狙うオフィス支援であるなら、もう一つはスマートフォンである。
今日、私たちのスマートフォンは、使わなくなったアプリケーションであふれている。久しぶりに訪れたお店でポイントアップキャンペーンを見つけ、会員アプリはどこかと探した揚げ句、会計でもたつき気まずい思いをしたようなこともあるのではないか。
AIエージェントが人に代わり会員サービスを管理し、ユーザーの行動を先読みしてポイントのバーコード画面を出してくれたらどうか? AIエージェントの有望な活用先が、スマートフォンに常駐し、今日のアプリの煩わしさを置き換えるエージェントであることは間違いない。
アップルが開発中とされる次期iOS 18では、大幅なAI機能の強化がメディアを中心にうわさされている。アップルの音声エージェント「Siri」が生成AIを取り込みアップデートするのは既定路線ともいえる。
一方でグーグルも、生成AIではオープンAIと比較され後塵を拝してきたが、スマートフォンでは一気に挽回するチャンスが訪れる可能性が高い。「Googleアシスタント」がAIエージェントになり、使い勝手を向上する日も近いと思われる。グーグルやアップルにとって、スマートフォンという自社が支配する巨大なプラットフォームを武器に、生成AIの活用でも一気に挽回するチャンスが「AIエージェント」には秘められている。
クッキーから解放される時が来る
AIエージェントはまた、将来的にプライバシーの問題へも一石を投じると思われる。
近年、サードパーティークッキーと呼ばれるブラウザーの識別子やアクセスログを活用した個人情報の過剰な収集が問題視されている。さまざまなサイトのバナー広告にクッキーを潜ませ、インターネット上の行動を収集して分析することで、その人となりをあぶりだすなど、度を越えた行為が横行している。
このため、インターネット広告で莫大な収入を得ているグーグルでさえ、自社のブラウザー「クローム」で、サードパーティークッキーを段階的に廃止する流れにある。
サードパーティークッキーに代わる、プライバシーに配慮した技術が現在検討されているが、AIエージェントは、今日のインターネットの仕組みを抜本的に変える可能性がある。ブラウザー前提の社会から、AIエージェント前提の社会へのシフトである。
ユーザーは、現在のクッキーに依存した仕組みから解放される。AIエージェントが航空券のチケットの予約や日用品の購入、タクシーの配車までを代行するようになれば、その人の好みに応じた“いつもの”をさり気なく提供するようになる。
AIエージェントには、個人の行動データが日々蓄積されるが、そのデータは、ユーザーのサービスを使い勝手の良いものにパーソナライズするために活用される。エージェントの設計次第では、どの企業に、どの範囲のデータを提供するか、統制をかけられる。サードパーティークッキーのように一方的に網が張られ、データが半ば強制的に収集される“主権のない状態”から、自らのデータを自らが管理する“主権のある状態”に戻る。
アップルは、自社のブラウザー「サファリ」で、サードパーティークッキーを20年3月のアップデートで、デフォルトでオフにするなど、ユーザーのプライバシーに配慮してきた。SiriがAIエージェントに進化した時、アップルのこれまでのポリシーから推測するに、エージェントのデータの主権はユーザーが握る、本来あるべき姿となるに違いない。
今後、スマートフォンに搭載されるAIエージェントは、巨大インターネット企業の「手下」ではなく、スマートフォンの持ち主たるユーザーの「味方」であるべきである。AIエージェントの「人となり(設計)」が、サービスを提供する企業の姿勢を物語るものになるだろう。