教養・歴史書評

暗殺されたロシア人ジャーナリストの娘らによるプーチン告発の書 評者・高橋克秀

『母、アンナ ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生』

著者 ヴェーラ・ポリトコフスカヤ(ジャーナリスト、放送作家)、サーラ・ジュディチェ(ジャーナリスト) 訳者 関口英子、森敦子

NHK出版 2090円

 ロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤは2006年10月7日に暗殺された。プーチン大統領の誕生日と同じ日であった。本書はアンナの娘ヴェーラとイタリア人ジャーナリストによるプーチン告発の書である。

 ロシアでプーチンを批判することは命とひきかえである。今年2月には民主派のリーダー、アレクセイ・ナワリヌイ氏が極北の刑務所で謀殺された。20年8月、ナワリヌイ氏は旅客機のなかで毒を盛られ、ベルリンの病院に運ばれて一命をとりとめた。しかし、健康を回復したのち、政治犯として収監されることを恐れずにロシアへ帰国した。これについてヴェーラは強く懸念していた。「帰れば投獄され、しかも長期にわたって収監されることは明らかだったはずだ」「塀の中にいては何もできない」。予言は最悪の形で的中した。

 アンナが働いていたモスクワの独立系新聞社ノーヴァヤ・ガゼータでは6人の記者が殺害されている。10年ほど前、評者は同社を訪問したことがある。玄関には6人の大きな遺影が掲げられ、執務デスクがそのままに保存されていた。自由のない国で声を上げ続ける記者たちの覚悟をみた。編集長のドミトリー・ムラトーフ氏は24年間も希望をともし続けた。しかし、政権の言論封殺によって22年3月に新聞の発行停止を決断し、現在はリトアニアに亡命して報道を継続している。

 アンナは1990年代からチェチェン戦争を報道してきた。ロシア軍による残虐行為は政府系メディアで報じられることはない。政府のプロパガンダを信じているロシア国民にアンナの報道は受け入れられず、世間からは変人扱いされ、当局に毒を盛られたこともあった。特殊ガスの使用で多数の人質が死亡した2002年のモスクワ劇場占拠事件でアンナはチェチェン独立派との交渉役を任された。アンナはこの事件を深く追及し、真相を解明したことで抹殺されたものとみられている。

 ロシアのウクライナ侵攻後、ヴェーラとその娘のアンナも国外に脱出した。ヴェーラの娘であり、祖母と同じ名前をもつ孫娘アンナの身辺も脅かされるようになったのだ。

 祖母アンナの残した言葉は重い。「勇敢でありなさい。そしてすべての物事をしかるべき名前で呼ぶのです。独裁者は独裁者と」。はたしてプーチンに対する日本政府の姿勢は正しかったのかどうか。プーチンとの個人的蜜月に腐心してきた安倍政権の接待外交は本質を見誤っていたとしか思えない。

(高橋克秀・国学院大学教授)


 Vera Politkovskaja 1980年生まれ。母の殺害時は26歳。ロシアのウクライナ侵攻を機に国外へ。

 Sara Giudice 1986年生まれ。イタリアの報道番組「ピアッツァプリータ」の特派員。


週刊エコノミスト2024年4月2日号掲載

『母、アンナ ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生』 評者・高橋克秀

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