映画「あんのこと」公開――入江悠さん
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映画監督 入江悠/116
自主製作した青春映画「SR サイタマノラッパー」で注目され、以来、ジャンルを問わない作品を作り続けている入江悠さん。6月7日公開の映画「あんのこと」は、入江さんにとって実話を基にした初めての作品だ。(聞き手=りんたいこ・ライター)
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── 6月7日公開の映画「あんのこと」は、薬物を断ち自分の人生を歩き始めた女性が新型コロナウイルス禍に道を阻まれ、自ら命を絶ったという新聞記事が基になっています。企画の発端は2021年ごろ、その記事をプロデューサーから渡されたことだそうですね。
入江 僕は今、44歳ですが、これまでそれなりにいろんな映画を撮ってきて、一人の社会人として確立したものがあると思っていました。でもコロナ禍になり、外出自粛を求められ孤立感を深めていくと、意外と自分はもろいということを痛感しました。東日本大震災も日本全国を揺らすような大変な事態でしたが、あの時とはまったく違う感覚。人間はウイルスに簡単に分断されてしまうのだと恐怖すら覚えました。
その時、その新聞記事を読み、この女性のことをもっと知りたいと思いました。それと同時に、もう一つ別の新聞記事を渡され、その女性の更生を支援した刑事が、ある事件によって逮捕されたことを知りました。人間の複雑さというか、人生の不条理というか、そういうものを感じたことも、この事件を調べてみようと思ったきっかけの一つです。
── コロナ禍は多くの人生を狂わせました。
入江 20年に僕も2人の友人を亡くしました。コロナ禍になって、それまで頻繁に取り合っていた連絡がちょっと途絶えた間にそういうことが起きてしまった。たぶん2人は、社会がいろんなことを制限していく中で精神的、肉体的に追い込まれていったのだと思います。親しかった人のことすら分からなかったことがすごくショックで、その女性が感じたことを知れば、わずかでも2人の気持ちに近づけるのではないかと思ったのです。
「あんのこと」の脚本の基になった新聞記事は20年に掲載された。当時25歳だった女性は、幼いころから母の虐待を受けて育った。義務教育も受けておらず、母から売春を強いられてもいた。入江さんはその記事を書いた新聞記者や、今回、監修を務めた薬物依存症からの回復をサポートする施設「日本ダルク」の関係者らに話を聞き、今作の主人公、20歳の香川杏の物語を作り上げていった。 杏を演じたのは、俳優の河合優実さん。入江さんは、現在23歳の河合さんについて、「人に対する想像力がとても豊かで、他者を演じること、それを映画として観客に見てもらうことの意味の重さを自覚し、一つひとつの行為をないがしろにしない。とても真摯(しんし)で、俳優としての倫理観が備わっている」と称えた。
死者をモデルに脚本を書く「罪深さ」
── 入江さんは、ほとんどの作品で脚本も書いていますが、実際の事件を扱ったのは今回が初めてです。
入江 想定していなかったのは、脚本を書いたり俳優と話したりしているうちに、恐ろしいことをやっているという感覚にどんどんさいなまれていったことでした。杏のモデルになった女性はその当時亡くなっていたので、彼女には反論するすべがないわけです。それにもかかわらず生き残った僕らが、彼女をモデルに映画を作るのはすごく罪深いことで、今までのように物語に従属する形で登場人物を勝手に動かしてはいけないという感覚になったことを記憶しています。
「コロナ禍で感じた息苦しさを残したかった」
── そうまでして映画にしたのは、杏のモデルになった女性の生きた証しを残したかったからですか。
入江 それよりも、20年からの数年間に亡くなった人もいるし、生き残った僕らもいるという事実を残したかった。人間とは忘れっぽいもので、マスクをいつからし始めたかも、もはや曖昧です。だからこそあの時、僕自身が感じた息苦しさや、亡くなってしまった友人たちが抱いていた孤独感や絶望感を残したいという思いの方が強かったですね。
「日本が貧しくなったことへの解決策が見つけられないまま中年になってしまった。今の若者には何も言い訳できない」
── 今作では、薬物依存や虐待など、困難な状況に陥る人を描いています。そうした状況を生み出す今の社会をどのように見ていますか。
入江 僕は29歳の時に自主製作した映画「SR サイタマノラッパー」(08年)で本格的にデビューさせてもらってから十数年間、商業映画の世界でやってきましたが、当時に比べ、日本の社会はどんどんぎすぎすして、貧しくなっていると思います。僕らが大学生の時より今の大学生の方が大変そうですし、ささいなことかもしれませんが、公園に注意書きが増えたし、駅からホームレスの人がいなくなったし、いいニュースを探す方が大変です。
ただ、具体的にそれに対する解決策が見つけられないまま中年になってしまったというのが正直なところです。映画に興味があるという若者に出会うたびに、この社会を作ってきた一員として、今の若者には何も言い訳できないと思ってしまいます。
── 第二の杏を生まないためにはどうしたらよいと?
入江 それについては映画の中で、杏が隣の部屋のシングルマザーから押し付けられた子どもの世話を引き受けた、という部分に託したつもりです。家庭内…
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週刊エコノミスト
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