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皇室民主化の象徴だった戦後「旧皇族」の皇籍離脱  成城大教授・森暢平

小田原別邸で、記者にポーズをとる閑院春仁(左)と妻の直子(1951年8月、鈴木茂雄撮影)
小田原別邸で、記者にポーズをとる閑院春仁(左)と妻の直子(1951年8月、鈴木茂雄撮影)

◇社会学的皇室ウォッチング!/118 これでいいのか「旧宮家養子案」―第20弾―

 旧宮家皇族たちが、もし連合国軍総司令部(GHQ)に皇籍離脱させられたなら、独立回復後、復籍させて皇位継承者を確保しなかったのはなぜだろうか。それは、敗戦直後の皇籍離脱が「皇室の民主化」の象徴であり、国民はこぞって雲上から「降りてきた」皇族の「国民化」を称賛したためである。(一部敬称略)

 今回は、閑院宮春仁(皇籍離脱時45歳。のちに閑院純仁(すみひと)と改名)を取りあげる。少年から青年になるころ、健康上の理由から閑院宮家別邸があった小田原に居住した。中等教育も、神奈川県立小田原中学校(現在の県立小田原高校)で受けた。陸軍士官学校を経て、騎兵少尉に任官。敗戦時は、戦車第四連隊の師団長心得(少将)であった。五摂家の一つ、一条家出身の直子と結婚し、子どもはなかった(このため、閑院家は1988〈昭和63〉年の春仁〈純仁〉の死で廃絶した)。

 戦争終了後は、春仁は直子とともに小田原別邸を拠点に生活していた。皇籍離脱から7日後の1947(昭和22)年10月21日、記者団と会見し、「平民閑院」の心境を語っている。同時に、記者たちに手記を手渡した。これを報じたのは確認できる範囲では、『サンデー毎日』(11月9日号)と『神奈川新聞』(10月23日)である(以下、春仁の発言は『サンデー毎日』から引用し、一部『神奈川新聞』で補った)。

「皇籍離脱の御感想を」と聞かれた春仁は、「(離脱が)本格的な世論となつて以来、その実現の日を待望していた。皇族籍を離脱されて、さぞお淋(さび)しいでしようと同情されるのは私にいわせればお門違いである」と言い切る。春仁は皇籍離脱を見据え、三都和(みつわ)商会(本社・東京日本橋)の社長におさまっていた。進駐軍向けの建築金具の製造のほか、結婚相談など手広く事業を手掛けた合名会社である。春仁は「純然たる民間人として、実業方面に進み、再建日本のために出来るだけのことをしたい」「(社長業は)ロボツト的存在に甘んずる気持はない」と強調した。

 ただし、社長業は、周囲に担がれたのが現実だった。戦時中、軍にヘルメットを納めていた男性に誘われ、小田原から週3回、出勤する形だった。それにもかかわらず、春仁はロボットではないと言い切った。それは、国民と同様に、市井で汗をかく姿を示すためであった。都心へも東海道線を利用した。国民は、混雑する電車での遠距離通勤に注目した。

 さらに、約2万平方㍍以上はあった小田原別邸を開墾して、農作物を生産する考えを記者団に披露する。「蜜柑(みかん)、柿等の果物や穀物、野菜等も作り、ゆくゆくは自給自足の域にまで進めたい」と構想を語った。食料難のなか、農業に乗り出す姿勢は国民の好感を得た。

旧皇族を描いた映画 「非理性的だ」と批判

 春仁に限らず、敗戦後のメディアは、旧皇族がそれぞれに苦労する実情をこぞって取りあげた。時事通信社が発行した日刊の『時事解説』(47年10月28日)は「混乱期にあたつて、いままでの特権をすてて、荒い浮世に飛び出された元宮様方が真の日本国民の一人として、あらゆる方面で堂々と活躍されることを切望してやまない」とプラスに評価する。

 一方で国民からの好奇の視線もあった。一例として47年8月に公開された大映製作の「初恋物語」という映画がある。来たるべき皇籍離脱をモチーフにした作品だった。春日宮という青年皇族だった男性が、大学理学部に補助員として就職するストーリーで、周囲との軋轢(あつれき)や、一般女性との恋愛が描かれた。元春日宮を演じたのは、演技派の大スター、上原謙である。

 この映画を見て憤慨したと春仁は記者団に批判の言葉を述べた。映画は、皇族の生態を華族以上に深窓に育った世間知らずと描いていると考えたためだ。「(旧皇族が)今から平凡な一社会人として世間の人々と対等の附き合いをして行こうとし、社会もこれ(旧皇族との関わり方)を見直しているとき、よくもあんな(略)盲断的な作品を世に出すことが出来た」と、製作者の「心臓の強さ」「非理性」を強い言葉で非難した。旧皇族を国民と同じ人間として見てほしいというアピールであった。

 皇族は世間を知らないから、余計なことは耳に入れないほうがよいなどと特別な存在と扱ってきたと春仁は指摘する。「カーテンは君達の方が作つたんじゃないか」と記者たちを叱った。

春仁が強調したかったのは、臣籍降下する旧皇族は、天皇と国民の間に立つ役割を果たすということだった。戦後の新生皇室と国民は「たがいに心を合わせて日本再建に進むという関係」となるはずだと春仁は考えた。そのなかにあり、天皇家と国民の間に立つ役回りを強調したのである。

コロッケは高いので…庶民生活を強調

 実際、春仁は、その後も気軽にメディアの取材に応じて、平民ぶりをアピールし、間接的に「皇室の民主化」に貢献した。漫画家の近藤日出造は47年11月ごろに春仁を取材し、似顔絵漫画付きの訪問記を書いた(婦人誌『ホーム』48年1月号)。「宮様といふものは黄金(こがね)の箸(はし)で飯を食ひ、便所の中までお供(とも)がついて、首うなだれ畏(かしこま)つてゐるものだと思つてゐたのですが、さほどでもなかつたんですねェ」と冗談を言う日出造。これに対し、春仁は、「便所は勿論、今は街を歩くにも、供はを〔お〕りませんな。家内なぞは、その辺のお惣菜屋でコロッケ買はうと思つたが、あんまり高価(たか)いのでやめた、といつた程度の庶民生活ですよ、ハッハッ」と応じた。

 実際の春仁は、財産税物納を免れた土地の切り売りで、使用人を維持しながら庶民とは掛け離れた生活を送っていた。しかし、メディアはその点は強調しなかった。

 皇籍離脱して、戦前にはなかった自由を得た旧皇族たち。52(昭和27)年、日本が独立を回復した後、社会のなかからも、旧皇族たちの間からも、皇籍復活を主張する声はなかった。それにもかかわらず、皇籍離脱から77年が経(た)った今、時計の針を戦前に戻し、皇室の「非民主化」を行うことがはたして妥当なのだろうか。

(以下次号)

(成城大教授 森暢平)


■もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

サンデー毎日 0707号表紙 杉野遥亮
サンデー毎日 0707号表紙 杉野遥亮

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