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彬子女王殿下の特別寄稿 「火」大文字山の登山道

撮影/幾島健太郎(毎日新聞)
撮影/幾島健太郎(毎日新聞)

 英国留学記『赤と青のガウン』(PHP文庫)が大ヒットしている彬子女王殿下が『新装版 京都 ものがたりの道』(毎日新聞出版)を刊行した。京都に暮らし、日本美術研究者として活動する彬子女王殿下が、古都の魅力を余すことなく伝える一冊。刊行に際し、本誌に夏の京都の魅力を寄稿していただいた。

◇『新装版 京都 ものがたりの道』刊行記念

 京都の夏は厳しい。京都に住んで10年以上がたつ今でも、毎年そう思う。そもそも、京都人ですら「夏の京都は住むとこちゃう」と言うのである。三方を山に囲まれた盆地である京都は、あたたかい空気が底に留(とど)まり、風があまり吹かないので、体にまとわりつくような蒸し暑さがある。暑いのが苦手な私は、夏はいつも動きが鈍くなるのだが、不思議と京都の夏は嫌いではないのである。

 枕草子には、「冬は、いみじうさむき。夏は、世に知らずあつき」という一文がある。直訳すると「冬は、すこぶる寒い日。夏は、こんなに暑いことがあるのかと思うくらい暑い日」という意味である。大抵「(そういう日がよい)」と解釈されているが、清少納言の真意はどうだろうか。

 ただ、平安の昔から京都の冬はとても寒く、夏はとても暑かったことはよくわかる。エアコンのない時代に、彼らはどのように暑さをしのいでいたのだろう。

 貴族の邸宅は、壁がなく、吹き抜けになっている寝殿造が一般的。天井も高く、御簾(みす)や几帳で仕切られているだけなので、隙間が多く、風通しもよい。池がある家が多いのは、もちろん遊楽のためでもあるが、池を吹き通る風を室内に取り入れて、少しでも涼しくしようという目的があったのだろう。

 今でも、町屋に住む人たちは、「ほんまに大変やねんで」と口では言いつつ、毎年夏になると襖(ふすま)を外し、竹を編んだ簀戸(すど)をはめ込む。籐筵(とむしろ)が畳を覆うと、畳の縁で区切られていた部屋が、広々と感じられてくる。

 庭に面した所は、障子を外して御簾をかける。夏の建具に変えるだけで、風通しも良くなり、見ているだけで涼しく感じるのが不思議。やはり昔も今も「家の作りやうは、夏をむねとすべし」(徒然草)なのである。

 京都では、季節の移ろいに逆らわず、自然と寄り添いながら生活している方が多いなと感じるけれど、夏に行事が多いのは、厳しい夏を楽しみながら乗り越えようという思いがあるからなのではないかと思う。鱧(はも)や鮎(あゆ)、賀茂茄子(なす)、祇園祭のときだけ登場する和菓子など、京都人が食べないとそわそわする旬の食べ物も、なぜか夏のものが多い気がする。

「彬子の京都三大祭り」である上賀茂神社の夏越(なごし)の祓(はらえ)、八坂神社の衹園祭、下鴨神社のみたらし祭も、思えばすべて夏の行事。衹園祭の始まりと共に夏の訪れを感じ、五山の送り火と共に夏の終わりを感じる。これを経験しなければ、不完全燃焼のまま夏が終わってしまう。私にとってはなくてはならない夏の風物詩である。

◇忘れられぬ大文字山で見た「送り火」

毎日新聞出版/1430円
毎日新聞出版/1430円

 銀閣寺に勤めていたころ、毎年送り火の日は大文字山に登らせていただいていた。1時間程度で登れるので、気楽な登山ではあるのだけれど、初めてのときは終わりが見えないので、とても不安だった。登山口までは舗装されているのだけれど、そこから突然山道が始まる。

 誘ってくれた友人はホイホイと先に行ってしまい、側衛さんと京都府警さんに励ましてもらいながら登った。送り火の日は登山者が制限されるので、人も比較的少なく、歩きやすい。気付けば、蝉(せみ)の声と木々の間を吹き通る風に揺れる葉擦れの音しか聞こえなくなっていた。ゆるやかなアップダウンを繰り返し、山頂までの階段を上りきると、急に景色がぱーっと開ける。汗だくになりながらたどり着いたときの空の明るさと、眼下に望む京都市内のミニチュアのような光景は今でも目に焼き付いている。

 だんだんと暮れなずんで行く空を眺めながら、点火の時を待つ。松明(たいまつ)に火がつけられ、和尚さんの般若心経の読経が始まる。火をつける人と火の近くに寄ってくる人がひしめきあって、現場には「危ない!」「もっと下がって!」と少しピリピリした空気が満ちる。そして、上から「南の流れ~よいか~」と大きな声がかかる。下の方から「いいぞ~」と声が返ってくる。

 北の流れ、字頭、一文字をそれぞれ確認すると、一際大きな「点火~!」の声。そして、「点火~!」と呼応しながら午後8時丁度(ちょうど)に一斉に火がつけられるのである。

 点火されると、火柱のように火床から火が燃え上がる。ある年は、雨予報だったので火床に油を多めに撒(ま)いていたらしいのだが、結局雨が降らなかったので、すさまじい勢いで燃え盛った。

 消防の人が「離れて~!!」と叫びながら、燃えるそばから放水していく。煙が立ち込め、火の粉も水飛沫(しぶき)も同時に上から降り注いでくるので、現場は大混乱。「ここは危険すぎます!」と、側衛さんに上から、京都府警さんに下から支えてもらいながら、小高い崖を登って避難したこともある。

 翌年担当した側衛さんが、「引き継ぎの資料に、バスタオルを持っていくようにって書いてあって、何のことかと思ったのですが、このことなんですね!」と驚いていた。現場に行ってみないとわからない行事の熱や人の思い、歴史というものがある。大変警察泣かせの行事であったと思うが、何も言わずに毎年登らせてくれていたことを心から感謝している。

 最近は下から見上げることが多くなった送り火。でも、いつも思い返すのは山の上で見た火の明るさと熱さである。京都に来てから経験するようになったお盆の行事。あの熱い火を頭に思い起こしながら、心静かにご先祖様の御霊(みたま)を今年もお送りしたい。


◇あきこじょおう

 1981年、寛仁親王殿下の第一女子としてご誕生。学習院大学を卒業後、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学され、女性皇族初の博士号を取得。一般社団法人心游舎(しんゆうしゃ)総裁、京都産業大学日本文化研究所特別教授

7月30日発売の「サンデー毎日8月11日号」には、ほかにも「政治記者匿名座談会『この国は沈んでいくのか』自民党政治への絶望感 鈴木哲夫」「NHK大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静さんインタビュー 恋愛、不倫、出世、親子……『1000年前も今も人間の本質は変わらないのです』」「9浪の教育ジャーナリスト濱井正吾が迫る 東大、京大、早稲田、上智…多浪からの〝就活〟成功体験談」などの記事も掲載しています。

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