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稀有な在日作家・梁石日を悼む 青木理

梁石日と、評論家の平岡正明(右)=写真/森直実
梁石日と、評論家の平岡正明(右)=写真/森直実

 梁石日(ヤン・ソギル)が逝った。現在の韓国南部・済州島(チェジュド)出身の両親のもと、大阪・猪飼野(いかいの)で生まれたのは1936年。タクシー運転手などの職を転々とし、本格的に作家デビューしたのは45歳。以後、遅咲きの在日コリアン作家が紡ぐ作品群を、かつて評論家の平岡正明は「世界文学」と激賞し、こう評した。「済州島を本貫とし、猪飼野に育ち、東京に出てタクシードライバーをやって、都会の内臓をがっちり食って、文筆の薮にのっそり出てきた虎」

 言い得て妙、だと思う。その梁石日の作品群には――代表作だろう『血と骨』にせよ『夜を賭けて』にせよ、あるいは少々マイナーな『断層海流』等々にせよ、文章の端々から血が滴るような作品群には私も早くから接し、いまから10年ほど前にはかなり長時間のインタビューにも応じてもらった(内容は『時代の抵抗者たち』河出書房新社に収録)。端的にいえば、この国の戦前も戦中も戦後も一貫して続く苛烈で愚劣な差別構造に喘(あえ)ぐ在日コリアンの苦悩と葛藤を、梁石日ほど真正面から描き切って文学作品群へと昇華させた物書きはほかに見当たらない。

 たとえば『血と骨』を読んだ際の衝撃を、同じ作家の髙村薫は98年に出した梁石日との対談集(両者の共著『快楽と救済』NHK出版)でこう評している。

「私たち現代の日本人がこれほど在日朝鮮人の物語を熱狂して読んだというのは、多分、初めてじゃないか」

 梁石日はこう応じる。

「在日という存在は否応(いやおう)なしに政治的な存在です。日本の制度そのものが、自分が在日であるといったことを意識させるようになっているわけです」

 そしてこうも。

「僕の若いころ、僕の育った大阪の生野あたりでも、日本の一流大学、阪大とか京大とかを出た連中がたくさんいた。しかし、ほとんど日本企業には勤められない。受け入れられない」「そうして否応なしにアウトローの世界に入っていく」「どうしても自営業の方へ行く」「自営業でも、やっていることは町の金融とか不動産とかパチンコ、焼肉、そういうのです」「これらはよく考えてみると、日本の経済の一種、排泄(はいせつ)物みたいなもんです。そういう世界ですよ。ところが、ここに栄養分があるんですね、豊富に」

 つまり梁石日は、私たちの社会が構造的に生む圧倒的な負を自らのエネルギーに転換させ、と同時に負のすさまじい罪禍を私たちに提示して鋭利に突きつける、やはり稀有(けう)で傑出した物書きだった。

 一方で梁石日は、あらゆる権力や権威にまつろわず、この国はもちろん、ルーツを持つ半島の国家や組織にも懐疑の眼を向けた。

 詩人の金時鐘(キム・シジョン)と出会い、詩誌『ヂンダレ』に加わったのは弱冠19歳のとき。当時は北の社会主義に漠とした憧憬を抱きつつ、しかし教条的なプロパガンダ詩を押しつける朝鮮総聯(そうれん)に徹底して抗(あらが)い、金時鐘とともに在日社会でも孤立させられた。そうした経験などによるのだろう、私のインタビューにはこう語っていた。

「組織の連中はあまり信用できない」「どっちも信用できない」

 そしてこうも。

「だからよく言われましたよ。おまえらは浮き草みたいなもんやいうて。でも、違う。主体性というのは、国家なんかに所属しているものではなくて、人間の根本的な問題であって、国家とか組織とか、そういうものに所属したり従属したりしているものではない」「僕は、国家に対して根本的に非常な疑義がある」「在日コリアンという存在は、そういうところに拠(よ)って立つのではなく物事を考える。そういう特性みたいなものができてたのかもわからん」「どこにも所属しない、みたいなね」

 つまり梁石日は、この国には稀少(きしょう)な自由人であり、たしかに文学的コスモポリタンでもあった。

 享年87。客観的にみれば大往生かもしれないが、私たちは稀有で大切な物書きを失った。喪失感は大きく、寂しい。(文中敬称略)

◇青木理(あおき・おさむ)

1966年生まれ。共同通信記者を経て、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家。丹念な取材と鋭い思索、独自の緻密な文体によって時代の深層に肉薄する。著書に『安倍三代』『情報隠蔽国家』『暗黒のスキャンダル国家』『時代の抵抗者たち』『時代の異端者たち』など多数。近刊に『破壊者たちへ』『カルト権力』『時代の反逆者たち』

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