初の本格長編「ナミビアの砂漠」がカンヌで受賞――山中瑶子さん
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映画監督 山中瑶子/125
やまなか・ようこ 1997年3月、長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で製作した初監督作品「あみこ」が、2017年のぴあフィルムフェスティバルで観客賞を受賞し、翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待される。本格的長編映画第1作となる「ナミビアの砂漠」は、24年の第77回カンヌ国際映画祭「監督週間」部門で国際映画批評家連盟賞を受賞。ほかの監督作に、オムニバス映画「21世紀の女の子」(18年)の1編『回転てん子とどりーむ母ちゃん』、短編「魚座どうし」(20年)など。
今年のカンヌ国際映画祭「監督週間」部門で国際映画批評家連盟賞を受賞した山中瑶子さんの映画「ナミビアの砂漠」が、9月6日に公開される。山中さんにとって映画は「思考の整理の手段」だという。そのわけは──。(聞き手=りんたいこ・ライター)
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「カンヌ映画祭の批評家連盟賞受賞は不思議な気持ち。自分の思考を整理する手段として映画を作るようにしている」
── 山中さんにとって初の本格的長編映画「ナミビアの砂漠」が、今年5月に開催された第77回カンヌ国際映画祭の「監督週間」部門で国際映画批評家連盟賞を受賞しました。
山中 「ママと娼婦」(1973年製作、ジャン・ユスターシュ監督)や「M/OTHER」(99年、諏訪敦彦(のぶひろ)監督)、「バーニング 劇場版」(2018年製作、イ・チャンドン監督)といった世界中の、自分がすごく好きな映画が取ってきた賞なので、今回の受賞にはまだぴんときていません。不思議な気持ちです。
── 昨年4月に旅先のインドで、それまで1年半ほど関わっていた小説の映画化の企画をやめようと決心したそうですね。そこから同年9月の今作の撮影まで、どのように脚本を書いていったのでしょう。
山中 前の企画を降りた後、プロデューサーから「オリジナルで作りませんか」という予想外の申し出をいただきました。ただ、私は、映画になりうる企画のストックがあるわけではないですし、映画にしたいというテーマも常に持っているわけではありません。むしろ、自分の思考を整理する手段として映画を作るようにしています。
「人間の権力関係や不誠実さを描きたかった」
── 思考の整理の手段、ですか?
山中 当時は、自分は何がしたくて、何ができるのかがよく分からなくて、もやもやする状態が続いていました。そのもやもやの正体が分からないと長編は作れないと思ったので、自分は映画に何を求めていて、どんな作品が見たいのか。そして、今の世の中に対する疑問などを紙に書き出していきました。すると、何となく方向性が見えてきました。でも、それは私個人の思いにすぎず、普遍性や新しさもないと映画にはなりません。
そうしたことをいろいろ考えた結果、親子でも夫婦でも、人は2人以上になると上下関係が生まれる局面が多いことに気づきました。今の社会は「対等に」とか、「互いの権利を尊重しよう」という流れになってきていますが、恋愛や結婚においては対等な関係を結びにくく、支配関係に入ってしまいがちなのではないか。そういうことを考えて、人間の権力関係や不誠実さについて描いてみたいと思いました。
現在27歳の山中さんが監督し、9月6日に公開される映画「ナミビアの砂漠」は、退屈な毎日を生きる21歳の三山カナが、同棲(どうせい)中の恋人を捨てて別の男性と暮らし始めるも、膨れ出す違和感にもがきながら自分の居場所を見つけようとする姿を描く。カナを演じるのは俳優の河合優実さん。山中さんは河合さんを、「想定以上の演技で、思った以上にカナでした。素晴らしかったです」とたたえた。
河合さんは高校3年の時、山中さんが19歳で自主製作した映画「あみこ」(17年)を見て感動し、「いつかキャスティングの候補に入れてください」と書いた手紙を山中さんに渡していた。山中さんも、当時の河合さんの「目力の強さ」が印象に残り、「いつか河合さんで映画を作りたい」と思い続けてきた。そんな2人の望みが今作でかなった。
── 本作の主人公カナは、うそをついたり、時には同棲相手に暴力を振るったりと、映画の主人公には珍しいタイプの女性です。
山中 乱暴なカナのような人を含め、誰でもこの世には存在していい。そういうことを思いながら作りました。カナのような人が映画の中とはいえ、のびのび動いているのを見て、よかったと感じてくれる人はいるのではないかと思います。半面、カナのような人は嫌い、あんな人とは関わりたくないという感想でもいいのです。とにかく“いる”ということ、存在が見えることが大事なのです。
── カナの職場を美容脱毛サロンにしたのはなぜですか。
山中 美容脱毛サロンは、個人的にはあしき資本主義の表れの究極のように感じていて、そこには消費行動を促す広告とルッキズム(外見至上主義)が要因としてあると思います。カナは現代に生きる若者として、物があふれ、何を選び取ればよいか分からなくて疲れていますが、サロンで働くことで、無自覚にも資本主義社会のシステムに取り込まれ、それを行使する側の人間になってしまっている。そういうことを表現したいと思いました。
「何もない」映像を見る意味
── カナは暇な時、スマートフォンでアフリカ南西部ナミビアにある…
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週刊エコノミスト
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