プラトンからロールズまで「正義」をめぐる思考を追跡 評者・原田泰
『正義とは何か』
著者 森村進(一橋大学名誉教授) 講談社現代新書 1078円
もりむら・すすむ
1955年生まれ。東京大学法学部卒業。日本法哲学会前理事長。法学博士。専門は法哲学。著書に『自由はどこまで可能か』『法哲学講義』など。
本書は、プラトンからホッブズ、ロック、カント、ロールズなどにいたる正義についての人類の思索の旅である。古典哲学の解説というと、その哲学者の正当性や弁護を述べたものが多いが(その典型は、マルクスに関する著作だろう)、多くの哲学者の思想をたどることによって、よくある弁護論を超えている。
プラトンは、①善には善、悪には悪で報いるのが正義、②正義とは強者の利益、③相互に害を加えないことが正義──という当時の議論を否定することから正義論を始めている。①は今日、多くの人々が認めている正義であり、アリストテレスやアダム・スミスの正義でもある。②は、正義についてのニヒリズムであり、私の考えでは、今日の過激派が唱える正義論でもある。③はホッブズの思想でもあるというが、すでにプラトンの時代からこうした広範な正義の概念があり、議論されてきたことが興味深い。
プラトンは、上記のいずれの正義をも否定して、正義とは国家の秩序が保たれた状態だという。ただ私は、プラトンのいう国家は極端な階級社会だから、正義とはすなわち強者の利益を言い換えたものというニヒリズムを招くのではないかとも思った。ホッブズ、ロック、ヒュームの思想には大きな違いがあるが、本書のように、「権力の役割について合理的に考えた人々」とくくると意外に類似しているのかもしれない。各自の利益を理性的に考えることが平和をもたらし、人々が正しく生きることを可能にするということである。
「最大多数の最大幸福」という言葉で代表される功利主義は平凡であるとして、日本での評価は低いが、本書は「不幸の最小化」という概念を評価している。確かに、これは正義や道徳の明確化につながると思う。
ロールズは現代最大の政治哲学者といっていいと思うが、ロールズの正義論は、諸個人の能力も性格も性別も育った環境もすべて偶然だが、当人がどの国に属するかはそうではないという。人は自分が属する国に属していなかったらどうなったかを知ることはできず、「そうした考え自体が意味をなさない」という。
すると、親ガチャは是正すべきだが、国ガチャはそうではないということになる。これでは、人々が、自国を捨て国境に押し寄せる世界で、ロールズの普遍理論は正義を明らかにできるのかと私は疑問に思った。
本書は偉大な人々の思索をたどり意義や限界を説得的に説明している。それにより読者も、正義について深く批判的に考えることができる。
(原田泰・名古屋商科大学ビジネススクール教授)
週刊エコノミスト2024年9月10日号掲載
『正義とは何か』 評者・原田泰