民主参加型の社会主義を希求 マルクス派碩学の真摯な遺著 評者・諸富徹
『資本主義の多重危機』
著者 伊藤誠(経済学者) 岩波書店 7370円
いとう・まこと
1936年生まれ。東京大学経済学部教授、国士舘大学大学院グローバルアジア研究科教授などを歴任。『資本主義経済の理論』『マルクス経済学の方法と現代世界』など著書多数。2023年2月7日没。
本書は、宇野弘蔵の理論を引き継ぎ、国内外の多彩な研究者と交流しつつ日本のマルクス学派を先導してきた著者の遺著である。
価値論、貨幣・金融論など、理論や概念の問題を取り扱う章もあるが、大半はマルクス派の視点からみた現代資本主義論であり、「社会主義の新しい形」に向けた将来展望である。
1980年代以降に新自由主義化して不安定性を高め、格差拡大、少子化、財政悪化、産業空洞化という多重危機に直面する資本主義に、著者は危機感を深める。より安定的で、平等かつ公正な経済システムに向けて、オルタナティブを希求する著者の息遣いが聞こえる作品だ。
あまたの資本主義批判とは一線を画し、マルクス派の視点が随所に光る。例えば、資本主義の格差再拡大を実証的に明らかにしたトマ・ピケティの『21世紀の資本』を高く評価しつつも、その限界を鋭く指摘する。富裕層による富の占有の背後には、労働条件の抑圧、必要労働時間の削減、非正規雇用の拡大など、搾取の強化という構造問題があるはずだが、ピケティはこうした本質に迫っていないとする。
人口問題についてもマルクスはかつて、資本蓄積過程でつねに労働者が超過供給の状態に置かれ、窮乏化すると主張した。だが現代は、雇用の不安定化が労働者を窮乏化させ、人口の再生産条件が壊れた結果、人口減少という危機に直面していると著者は診断する。
では、資本主義の多重危機をどうすれば解決できるのか。国際資本課税による格差縮小を提唱するピケティのアイデアを、著者は否定しない。だが、資本主義の改革に向けて国家主導は望ましくない。広範な市民が参加する社会運動や代替的な経済システム構築の動きに期待がかかる。
背景には、ソ連型集権的計画経済の失敗がある。集権的計画経済は理論上成立しえても、実行過程でどうしても官僚制の肥大化と腐敗、市民の抑圧、労働者の非協力などの問題を生み出し、目的を達しえない。
目指すべきは民主参加型で、分権的・分散型、そして市場を制御しつつその機能を生かす社会主義だ。グリーン・リカバリー、コミュニティー、相互扶助システム、ベーシックインカムなどが端緒として示される。
経済学者が社会問題を正面から取り扱わなくなって久しい。その中で理想を掲げ、現実をどう近づけるかを考え抜く経済学者の真摯(しんし)な知的営為は貴重であり、それを凝縮した本書は、マルクス派の経済学の真骨頂を示すものといえよう。
(諸富徹・京都大学大学院教授)
週刊エコノミスト2024年10月15・22日合併号掲載
『資本主義の多重危機』 評者・諸富徹