曽祖父が酒蔵に残したモルト原酒を出発点に当代がウイスキー産業を再興するまで 評者・藤原裕之
『ジャパニーズウイスキー入門 現場から見た熱狂の舞台裏』
著者 稲垣貴彦(若鶴酒造代表取締役社長) 角川新書 1034円
いながき・たかひこ
1987年生まれ。大阪大学経済学部卒業後、外資系IT企業に就職。その後、実家の若鶴酒造に戻り5代目社長のほか、三郎丸蒸留所マスターブレンダー兼マネジャーを務めている。
ジャパニーズウイスキーを一過性のブームで終わらせてはいけない。一国の文化として世界に誇れるものにする──本書は蒸留所の経営者兼ブレンダーが、他のウイスキー入門書では語られないジャパニーズウイスキーの発展の歴史と未来について独自の視点で迫った意欲作である。
ウイスキーを学ぶことは、その地域の生活や文化、産業の成り立ちを学ぶことに等しい。スコッチウイスキーを筆頭とする世界のウイスキーは歴史とともに独自の進化を遂げており、それは日本においても同様という。明治維新後の模造ウイスキーの製造、マッサンこと竹鶴政孝による日本初のウイスキー誕生、敗戦で遅れたウイスキー基準の制定と酒税法、戦後における保護からの寡占、ウイスキー低迷期を経てからのジャパニーズウイスキーブーム──日本のウイスキーの草創期から現在に至る発展過程が、時代背景や酒税法の変化とともに丁寧に解説される。
著者が実家の若鶴酒造に戻り、一度廃れてしまったウイスキー蒸留所を必死の思いで再興する物語は目玉の一つだ。ウイスキーを産業として確立し、世界に誇るジャパニーズウイスキーにするために何が必要なのか、自らの経験を通して訴えかける。蒸留所再興プロジェクトは困難を極めたが、曽祖父が残した1960年モルトの原酒を飲んだ瞬間、曽祖父とひ孫の著者が時代を超えてつながった衝撃を覚えたという。飲み物や食べ物で半世紀以上の時を超えて次世代に受け継がれるものはめったにない。ウイスキーが歴史も含めて後世に伝えていくものであることを象徴する印象深いエピソードだ。
ジャパニーズウイスキーを文化の域に昇華させるには、曽祖父が残した歴史に新たな一ページを加えなくてはいけない。著者は日本生育のミズナラを利用したウイスキー樽(たる)の製造、伝統産業である高岡銅器の技術を生かした蒸留器「ZEMON」の製造など、地域の資源や伝統産業を積極的に取り入れる。特筆すべきは2021年に設立したボトラーズ(瓶詰め販売業)「T&T TOYAMA」だ。小さな蒸留所はボトラーズに原酒を供給することでキャッシュフローを確保でき、経営を安定させることができる。ジャパニーズウイスキーをスコッチウイスキーと肩を並べる産業に育てる──かけ声倒れに終わらない著者の行動力は頼もしい限りである。
読み終わった後、読者の多くはジャパニーズウイスキーを手に取ることになる。琥珀(こはく)色の奥に浮かぶ作り手の姿に思いを馳せながら……。
(藤原裕之・センスクリエイト総合研究所代表)
週刊エコノミスト2024年10月29日・11月5日合併号掲載
『ジャパニーズウイスキー入門 現場から見た熱狂の舞台裏』 評者・藤原裕之