国際・政治東奔政走

マティス更迭が東京2020に与える衝撃とは=及川正也

来日して防衛省を訪れたマティス米国防長官(当時、左)。辞任で日米関係に影響は出るか(東京都新宿区で2018年6月29日、代表撮影)
来日して防衛省を訪れたマティス米国防長官(当時、左)。辞任で日米関係に影響は出るか(東京都新宿区で2018年6月29日、代表撮影)

 新春早々、外務省の高官からこんな嘆きを聞いた。

「マティス米国防長官となら日米地位協定の協議も動かせると思っていたのだが……。横田ラプコンの話も耳を傾けてくれていた。いったんはうまくいきそうだったが、これでいよいよ難しくなった」

 横田ラプコンとは、米軍横田基地(東京都福生市など)が管制権を持つ横田空域のことを言う。東京都の上空だけでなく、新潟、山梨、静岡、千葉を外周に1都9県にまたがる広大な空域を指し、全域は約2万平方キロメートルに及ぶ。日米地位協定により、米軍基地の管理権は米軍が持ち、横田空域の管制権も在日米軍にある。羽田空港を使って離着陸するほとんどの旅客機は隣接するこの空域を避けるように飛行している。

 ところが、2020年東京五輪・パラリンピックを控え、そうは言っていられなくなった。日本政府は訪日客増加を見込んで羽田空港の国際線の年間発着回数(昼時間帯)を現在の6万回から9・9万回に増やす計画で、東京湾上を通る従来のルートに加え、都心上空を通る新ルート案を発表。これに待ったをかけたのが在日米軍だ。新ルートの一部が横田空域を通過するためで、「運用に支障が出る」と突っぱねたという。

 高官によれば、河野太郎外相がマティス氏に「おかしいじゃないか」と直言したところ、いったんは米軍が何も言わなくなったという。横田空域の返還や地位協定の改定交渉も不可能でないのでは、と感じたその矢先の12月20日、マティス氏の辞任が発表されたというわけだ。

「地位協定の協議できた」

 河野氏は16年前の03年に自民党国会議員でつくる日米地位協定改定の実現を目指す「地位協定議連」の幹事長として改定案をまとめた経歴を持つ。外相になって公には改定を口にはしていないが、周辺に「マティス氏が辞めたのは痛い。地位協定の話もできただろう」と漏らしているから、あわよくばという気持ちはあったのかもしれない。

「マティス・ショック」。日本政府の一部ではこう呼ばれるほど、辞任の衝撃度は大きい。それも当然だろう。マティス氏はトランプ米政権内で同盟重視・国際協調派の先導役を務めていたからだ。辞任の最大の理由が何より、トランプ大統領との「同盟観」の違いだというから、事は深刻だと受け止めざるを得ない。

 トランプ氏宛ての辞表をかいつまんで引用すると、次のようになる。

「米国の強さは同盟国と友好国とのかけがえのないつながりと密接に関係している。強い同盟を維持し、同盟国に敬意を払わなければ、国益を守ることはできない……国際的な秩序は米国の安全、繁栄、価値観にとって最も助けになるもので、米国はその進展に全力を挙げなければならない……あなたはこれらの点で自身と立場をより同じくする国防長官を選ぶ権利があるので、私が辞職することが適切だと確信する」

 要は、トランプ氏に「同盟軽視」「反国際主義」のレッテルを貼り、もう一緒にやっていられない、と言っているのに等しい。トランプ氏はかちんときたようで、ツイッターで「同盟国は貿易で米国に付け込んでいる。マティス将軍は問題だと見なさなかった。私は違う」と反論し、2月末の退任を年末に前倒しした。だが、「マティス更迭」に、日本を含め多くの同盟国や友好国から怒りや失望の声が上がっている。

 トランプ氏は2年前の政権発足時から次々に米軍幹部経験者を中枢に起用し、「ジェネラルズ」と呼ばれた。だが、最近では陸軍中将のマクマスター国家安全保障担当大統領補佐官、海兵隊大将のケリー大統領首席補佐官の辞任が続き、後任はトランプ氏に近い「米国第一主義派」が起用された。マティス氏の辞任は軍出身者を中心とする国際協調派の最後の砦(とりで)が陥落したことを意味する。

 というのも、米政界で昨年夏に起きようとした「無血クーデター」が失敗したのと軌を一にするからだ。ホワイトハウスで起きた「クローズド・サークル」(密室劇)を、米ピュリツァー賞を受賞している『ニューヨーク・タイムズ』のトーマス・フリードマン氏がアガサ・クリスティーの代表作『オリエント急行殺人事件』になぞらえて解説している。

 トランプ氏を批判する政権高官の匿名寄稿が同紙に掲載された昨年9月、列車内で起きた殺人事件に他の乗客全員が関わっていたというストーリーを引いて、「すべてのトランプ氏の上級顧問が搭乗している」と評した。政権内部の反乱が起きかけていることを示唆する記述となっている。だが、その3カ月後、マティス氏辞任を受けた英『フィナンシャル・タイムズ』のエドワード・ルース氏のコラムの書き出しは、「そして誰もいなくなった」だ。「マティス氏はこの2年、世界中を精力的に駆け回り、米国の友好が揺るぎないものだと説き続けた。信用に値するときもあったが、もはや彼はいない」と書いている。

 引き金は、トランプ氏の唐突なシリアからの米軍撤退だった。シリアでの過激派組織「イスラム国」(IS)への壊滅作戦を実施しているのは米軍中心の米英や中東の軍事作戦参加国だけではない。米国務省が公表している「有志国連合」は日本を含め79カ国・組織に上る。そのほぼすべての頭越しに突然、撤退すると表明されては、「同盟も連合もあったもんじゃない」(外務省関係者)と怒るのも当然だろう。

後任選びは難航

 各国政府はいまも戦々恐々としている。まずは、国防長官の後任選びだが、難航しているようだ。米メディアの報道によると、ホワイトハウスはマティス氏辞任直後に元米軍統合参謀本部副議長(陸軍大将)で現在は米保守系テレビ「FOXニュース」コメンテーターを務めるジャック・キーン氏や、安全保障に精通するジョン・カイル元上院議員らに打診したが、いずれも断られたという。キーン氏はシリア撤退に反対し、カイル氏は同盟重視派とみられており、「内外で尊敬を集めていたマティス氏の後釜は簡単には見つからない」(防衛省幹部)といった冷めた見方もある。

 ある元外交官が旧知の知日派有識者に政権入りしてはと聞くと、こう返されたという。「トランプ氏の外交政策は支離滅裂。米国を頼らず日本は自立した方がいい」。日米関係も変質しつつあるということか。

(及川正也・毎日新聞論説副委員長)

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事