統計数値への過信が金融政策を縛る
厚生労働省の「毎月勤労統計」などの統計不正は、雇用保険の給付金の基準となる行政統計としての信頼を失墜させた。ただ、統計がどの程度、真の経済の姿を示しているのかについては議論の余地がある。数字に対する妄信が、政策の評価をゆがめた例は少なくない。
安倍晋三首相の「毎勤統計が下方改定されても賃金が増加傾向にあることは変わりがない」という発言は正しい。しかし、首相自らが賃金上昇の「3%」にこだわり、これを前提にシナリオを描いたことを考えると、アベノミクスは失敗と評価せざるを得ない。
統計は常に改定と誤差が伴う。数字にこだわり過ぎれば政策は本質を見誤まる。例えば、福井俊彦総裁時代の日銀が2006年3月に行った政策変更は、「消費者物価上昇率が安定的にゼロ%以上になる」という数字に基づき、量的緩和を解除した。
確かに物価は3カ月連続してプラスを示したが、その後の基準改定により、一部にマイナスになるなど下方改定された。物価が上昇傾向にあることには変わりがなかったが、当時官房長官だった安倍首相が、日銀に不信感を抱く原因の一つとなったとされた。
最近、経済政策を立案する基準となる統計が重要視される背景には、政策の透明性や説明性を高めるために数値目標を置くことが多くなったことがある。典型例が物価上昇率(インフレ率)に対して政府・中央銀行が一定の範囲の目標を定めるインフレ目標だ。しかし、海外と日本のインフレ目標の運用には決定的な相違がある。
インフレ目標の本家ともいえる英国では、「2%目標」は、具体的な達成時期が明文化されていない。長く目標を達成できなくても、大きな批判は起こらない。インフレ率が下降しても利上げを行える自由度もある。インフレ目標政策が制限付きの裁量政策として、政治の影響を排除して金利変更ができるという中央銀行の独立性や自由度を高めるものとして考案されたからだ。
これに対し、日銀は、仮に「静かな出口政策」に向けた歩みを始めているとしても、表面的には「2%目標」にこだわり過ぎて政策の自由度を失い、「説明性の罠(わな)」に陥っているようにみえる。
そもそも、今回の統計不正が発端となり、政府統計の拡張や充実を進めるという議論に対しては、一定の留保が必要だ。学者の中には、経済の真の姿を映し出すために、統計を拡張すべきという主張がある。しかし、統計の拡張は、報告や作成負担の増大を意味する。どんな精緻な統計にも誤差が伴うのであれば、安易な拡張は、かえって効果を減退させかねない。人工知能(AI)の活用などによる負担の軽減も併せて考慮すべきだろう。
(歩)