ナチスドイツの優生思想 ドラッグの視点から分析=荻上チキ
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ナチスドイツが、ユダヤ人だけでなく多くの障害者も虐殺していたことは有名だ。「精神障害者」は結婚も禁じられ、強制断種や「安楽死」が遂行された。「精神障害者」には、薬物依存症患者も含まれていた。
ナチスは麻薬撲滅キャンペーンを展開し、使用者を監視・報告することを国民に課した。ヒトラー自身も厳格な禁煙・禁酒主義者として振る舞い、「人種衛生」のために禁欲的であることを強いた。しかし、ナチスの薬物ゼロトレランス(厳罰)政策はついに達成できなかった。むしろ第三帝国は、ドラッグまみれになっていった。
国内では、生産性向上の観点から、合法な薬物の使用がむしろ推奨された。医師たちは新たに強力な薬物の開発に余念がなく、時には人体実験まで展開する。軍隊内でも、作戦遂行のために大量の薬物が支給された。当然ながら問題症例も多数報告されたが、ネガティブな報告は無視された。不都合な情報に目をつぶり、無謀な作戦を続行していく。
『ヒトラーとドラッグ 第三帝国における薬物依存』(ノーマン・オーラー著、白水社、3800円)は、ヒトラーの主治医となったテオドール・モレルの歩みと、彼の記した膨大なカルテに着目する。モレルはヒトラーの主治医という地位を活用してその生産や販売にも熱心に取り組んだ。不安感を取り除き、眠らなくても済む状態にしてしまう覚醒剤は、死と隣り合わせの前線で多用される。
薬物は短期的にはポジティブな効能があるようにも見えた。無茶な作戦を成功させ、無理な労働を実現する。しかしこのようなドーピングは、活力の前借りであり、疲労感のツケ回しである。数多くの者が依存症とその後遺症に苦しむこととなった。
多くのドイツ国民や兵士が依存状態にあって、処方箋をもらうように、と規制する動きもあったが、効果は見られなかった。大衆、兵士だけでなく、ヒトラー自身もまた、薬物を手放すことはできなかった。禁酒を貫いていることになっているヒトラーは、時には酒を、そして禁止されているはずの違法薬物を何十種類と摂取し、偶像として振る舞い続けることに追われた。
ナチスは宣伝時に、ユダヤ人をたびたび毒物に例えた。優生思想は、特定の生を人為的に優位づけ、その他の生を劣位に置く。恣意(しい)的に人種の線引きを行い排除を試みつつ、その矛盾によって自己崩壊していく第三帝国の様子が、ドラッグに着目することで浮き彫りになっていく。
作家ならではの描写力の一方で、例えば複数ある歴史論争から特定の解釈だけが選択されていることには留保を付けておきたい(ダンケルク戦でのドイツ軍の停止の理由や、ヒトラーの奇行の理由付けなど)。
それにしても現在、薬物についての議論は、70年前からどれほど進んだろうか。医療的な対策が進歩した一方で、薬物依存者に対する社会的な理解は、「薬物使用者は〈人間〉ではない」という形の優生思想がまだ残っている。
(荻上チキ・評論家)
■人物略歴
おぎうえ・ちき
1981年生まれ。ウェブサイト「シノドス」元編集長。TBSラジオ「Session-22」パーソナリティー。政治経済、社会、文化など幅広く分析。
この欄は、荻上チキ、高部知子、孫崎享、美村里江、ブレイディみかこ、楊逸の各氏が交代で執筆します。