特別インタビュー 木内登英・元日銀審議委員 「危機への過剰な政策対応が次の危機を引き起こす」
リーマン・ショック後を丹念に検証し、新たなバブルの蓄積とその崩壊に警鐘を鳴らす『世界経済、最後の審判』(小社刊)を書き上げた木内登英氏に聞いた。
(聞き手=浜條元保・編集部)
── 日銀の異次元緩和は今年で6年になり、副作用は多くの識者から指摘されているが、一向に政策変更されないのはなぜか。
■効果があるから続けるのではなく、やめてしまうと円高になるのが怖いからやめられない。そもそも政策目標として、十分な議論もせずにデフレ脱却を掲げてしまったことが問題だった。真のデフレとは、景気と物価がスパイラル的に大幅に下落することを指す。1930年代の世界恐慌がその典型だ。それと比較すると、90年代後半から始まった日本の物価下落は非常に緩やかなものだった。
日本の場合、低い物価上昇率が問題なのではなく、経済の潜在力の低下こそが問題の本質だった。そこに十分に手をつけることなく、短期的にはコストが見えにくい金融緩和策に過度に頼ってしまった。
バブルは常に違う顔で来る
── 日本は、円高恐怖症が強すぎるのではないか。
■円高のデメリットは以前に比べて小さくなっている。円高は、輸入業者や消費者にはメリットだ。だが、歴史的に日本は円高に対して過剰な政策を繰り返してきた。71年のニクソン・ショック以降、変動相場制に移行する過程で円高が進み、これに金融緩和で過剰に対応して資産市場に不均衡、つまりバブルをつくった。85年のプラザ合意以降の円高局面でも、内需拡大とドル暴落回避を大義名分に金融緩和策がとられ、バブルの生成と崩壊につながる。
── 審議委員を務めた当時の白川方明・前日銀総裁時代、日銀は金融緩和に消極的と批判された。
■日銀のつらい経験の一つで、トラウマになっているだろう。経済のグローバル化が進み、世界経済の動向が為替に与える影響が大きくなっている。2017~18年のような世界経済が好調な局面では、リスクオンの状態となり円が売られやすくなる。一方で、世界経済が悪化するリスクオフの時には、円を買い戻す動きが強まり、急激な円高になってしまう。
日本の場合、日経平均株価を構成する企業に輸出セクターが偏っているために、円高は株安につながる。輸出企業の円建て取引が広がらないことも影響しているが、株安は景況感の悪化につながり、政治的には円高是正の金融緩和策が支持されてしまう。本来、政策で為替をコントロールすることはできないが、これは一般には理解されにくい。白川前総裁は「金融緩和策は『打ち出の小づち』ではない」と、国民に理解を求めた。中央銀行は粘り強くこうした説明を続ける必要があるだろう。
── 世界的な金融危機の引き金となったリーマン・ショックから10年余りが過ぎた。金融危機のリスクは再び高まっているか。
■リーマン・ショックの原因ともなった金融市場のゆがみ、つまりバブルは蓄積されている。過去の金融危機を振り返れば、「常に違う顔(形)で現れる」。常に違う場所、異なるメカニズム、きっかけで危機は発生する。そのため、過去の経験を十分に生かすことができない。しかし、周期的に起こる現代の金融危機には、危機への過剰な政策対応が次の危機を引き起こしてしまうといった共通した傾向がみられる。
── リーマン・ショック後も過剰な政策対応だったのか。
■結果的に、そうだったのではないか。具体的には、日米欧の各国がとった異例の金融緩和策が過剰だった。10年が経過して、この金融緩和策が金融市場に大きなゆがみをもたらしている。日本の債券市場に代表されるような低金利政策を長期間続けていることが、市場機能を不全にした。
また、低金利に伴う金融機関の収益悪化が、次の金融危機の原因となる可能性もある。
── 現在、蓄積されている金融市場の不均衡を一気に解消させるきっかけは何か。
■世界的に広まるポピュリズム(大衆迎合主義)に支えられた誤った政策だ。これは、人為的ミスともいえる。代表的なのが、米国のトランプ大統領が掲げる「自国第一主義」、つまり保護貿易主義だ。また、欧州にも広がる財政拡張策、日銀の異次元緩和もこれに該当するだろう。
過度な外需、ドル依存
── 米国では15年末から政策金利の引き上げ、また、米連邦準備制度理事会(FRB)がバランスシートを縮小させる金融の正常化(出口)を進めていたが、昨年10月以降の株式市場の混乱から、年初にFRBのパウエル議長は利上げの一時停止やバランスシートの縮小を予定よりも早く終える見通しを示さざるを得ない状況に追い込まれた。
■FRBの政策変更の背景にはさまざまな要因が考えられるが、株価の急落といった市場の混乱への配慮はあっただろう。米国の景気が減速すれば、FRBの利上げの責任にされてしまう可能性がある。トランプ大統領のツイッターによるFRB批判も気にしているはずだ。金融の正常化は一休みといったところだろう。
ただ市場への過剰な配慮は問題。金融市場のゆがみを大きくして、将来の危機の芽を大きくしてしまうからだ。
── リーマン・ショックの震源地の米国や原因となったサブプライムローン(低所得者層向け住宅融資)およびその証券化商品を大量に保有していた欧州各国よりも、日本が実体経済に大きな打撃を受けた。再びグローバルな金融危機が発生した場合、同じことが起こらないか。
■可能性が高いと思う。リーマン・ショックで日本が欧米よりも大きな打撃を受けた原因は、過度な海外需要やドル依存体質にあった。驚くべきことに10年たった今なお、まったく状況は変わっていない。10年前よりも依存度を高めてしまっている。
── なぜか。
■過剰な金融緩和に依存しすぎた。構造改革を通じた潜在成長率(経済の実力)の強化こそ取り組むべきだったが、それができていない。構造改革には企業の淘汰(とうた)や失業といった痛みを伴う。その痛みをやわらげるために、いわば「時間を買う」ために金融緩和が実施されるのが本来の姿だ。それが長期化してしまった。金融緩和では、潜在成長率の底上げにはつながらない。
── 潜在成長率を高める構造改革が進まない理由は何か。
■痛みを伴うからだ。政治的に採用されにくく、国民の支持も得にくい。これは日本だけでなく、世界的なものだ。欧米でもいま、財政政策で格差を是正しようという一種のバラマキ政策が一定の支持を得ている。経済の潜在力低下による人々の将来不安が格差問題にすり替えられてしまっている。
債券市場に蓄積するゆがみ
── 今回の不均衡は、どこに蓄積されているか。
■10年以上におよぶ金融緩和策の最も大きなゆがみが蓄積されているのは、各国間での連動性の高い債券市場だ。再選を目指すトランプ大統領による財政拡張が、米国の双子の赤字問題をより深刻化させ、悪い金利上昇やドル危機が懸念される。ひとたび金融危機が発生すれば、一気に世界中に拡散してしまうだろう。
── 米中問題は貿易だけでなく、外交や軍事を絡めた覇権争いだけに長期化は避けられそうにない。
■中長期的に欧米先進国グループと中国を筆頭とする新興国グループに世界が二分される可能性がある。中国が進める一党独裁体制のままの国家資本主義が、急速な経済発展を目指す新興国には都合がいい面もある。中国型なら人権や情報公開をうるさく言われない。
他方、欧米の民主的な資本主義は、プロセスが多くスピード感に欠ける。トランプ大統領の誕生の裏側にはフェイク(偽)ニュースが指摘されており、欧米民主主義の行き詰まり感もある。世界が分断されかねない。
── 次の危機は防げるか。
■金融危機を引き起こすメカニズムや過去と比較した場合の特性を十分に理解し適切に対応すれば、深刻な危機は回避できるかもしれない。仮に危機が発生してもより迅速で適切な対応がとれる可能性がある。
■人物略歴
きうち・たかひで
1963生まれ。87年野村総合研究所入社、エコノミストとして活躍。2012年日銀審議委員に就任。17年から野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミスト。