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小説 高橋是清 第70話 阪谷芳郎=板谷敏彦

(前号まで)日露開戦が迫る中、日本政府は正貨が足りず金本位制維持が危ぶまれる。戦費調達のため外貨建て公債発行をもくろむが、期待した英国政府の援助は得られないという現実に直面する。

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 さかのぼること約10年、明治28(1895)年に終わった日清戦争。のちに大蔵次官となる阪谷芳郎は一人で仕事を仕切り「阪谷横暴」とまで呼ばれながら八面六臂(ろっぴ)の活躍で戦争遂行を財政面から支えた。当時の彼はまだ32歳の若手官僚だった。

 その日清戦争が終わって半年後の10月、阪谷は専修学校(専修大学の前身)理財学会秋季大会で講演した。その冒頭で彼はこう断言した。

「戦争とは7分が経済で、後の3分が戦闘である」

東大出の「お嬢さん」

 阪谷はそれまでの維新の生き残りのような大蔵官僚たちとは違い、東京帝国大学で西欧的な財政学、経済学を履修して大学卒業後に大蔵省へと入省した近代的大蔵官僚コースの第1回生である。大学時代のあだ名はなんと「お嬢さん」、粗雑なバンカラとはほど遠い。

 日本美術史にその名を残すフェノロサは当時の東大で理財学(現経済学)や哲学も講義したが、当時生徒だった阪谷が筆記した英文講義ノートが現代では貴重な資料として残されている。 

 英語でカントやヘーゲルに関する哲学の授業を聞き、英文で後世にも資料として残るノートを記した。その頭脳のレベルは単に優秀とかいう表現では足りないだろう。

 阪谷は明治8年に12歳で東京英語学校(大学予備門→一高)に入学しているから、ちょうど同校の教師であった是清が赤羽四郎たちと校内での議論を活発にしていた頃にあたる。阪谷は若き日の是清をよく知っていたのだ。

 日露戦争に臨んで、大蔵次官となっていた阪谷は早くから日露の談判は決裂に向かうと覚悟していた。 

 そこで当時の曾禰(そね)荒助大蔵大臣と相談し、日銀総裁を三菱系の山本達雄から大蔵省理財局長の松尾臣善(しげよし)に切り替えて大蔵省と日本銀行の一体化を図った。要するに日銀には大蔵省の言うことを聞いてもらわねば困ると処置したのだ。

 ちょうどその頃、きたるべき日露戦争に対して日本には金がないからと戦争に反対していた財界も、参謀本部次長児玉源太郎中将が財界のリーダー渋沢栄一を説得したこともあって、10月には既に開戦を覚悟していた。

     *     *     *

 日露開戦まで1カ月を切った明治37(1904)年1月18日、大蔵省は在京の銀行関係者を蔵相官邸に集めて国債消化(戦費調達)協力の催しを行った。

 主催は曾禰大蔵大臣。阪谷次官以下大蔵省各局長も顔を出した。来賓は松尾日銀総裁、銀行倶楽部委員長の豊川良平(三菱)、早川千吉郎(三井)、園田孝吉(華族の銀行である十五銀行頭取)、日銀副総裁高橋是清の顔も見える。その他金融業界の主立った者たちである。渋沢栄一も招待されたが風邪で欠席、以降この会は豊川良平が音頭をとっていくことになった。

「今度の戦争では、軍需物資の輸入、金本位制の維持のためにどうしても正貨が必要です」

 会は阪谷がイニシアチブをとった。控えめな性格ではあるが、ひとたび口を開けば圧倒的な説得力を持つ。

「それには英国ポンド建ての外債を発行せねばなりません」

 是清も静まった会場にいる参加者も皆黙ってうなずく。

「もし仮に日本国内で国庫債券(戦時の内国債)の募集がうまくいかないようなことがあれば、その評判はあまねく外国に知れ渡り、外国債の募集などうまくいくはずもありません」

 阪谷は続ける、

「日清戦争の経験から、戦争とは7分が経済で、後の3分が戦闘であります、この戦争の勝敗は、まさに日本の金融、財界を背負って立つ皆さんの双肩にかかっているのです」

 阪谷は「国庫債」の募集がうまくいかないようであれば、外国債の発行などうまくいくはずもないと考えていた。

 そこで「国庫債」には年利5%、償還期間5年、発行価格95円と当時としては「破格の条件」を用意した。また公社債利子に対する所得税の徴税強化、各種税率上昇の中で据え置きにするなど優遇処置を講じることも忘れなかった。

 では、当時の関係者はロシアとの戦争に一体どれほどの戦費が必要だと考えたのだろうか。またこの時、阪谷は内国債をどれほど募集しようと考えていたのだろうか。

 ちなみに1903年の国民総生産名目値が30億円程度、政府の一般会計歳出が約2億5000万円である。

 開戦の前年明治36(1903)年6月に、「七博士意見書」を提出して主戦論を展開した東大七博士は、継戦期間1年として2億8000万円と見積もった。

 同じ月に参謀本部会議で提出された井口省吾総務部長による「対露意見具申」では5億円。

 10月に参謀本部次長に就任した児玉源太郎中将(翌年大将に昇進)は参謀本部各部長を前に交戦期間1年で8億円として、この資金調達こそ最大の課題であると説明した。

 要するに誰にもよくわかっていなかったというのが真相だろう。結論を言えば臨時軍事費特別会計の支出だけで15億円である。歴史をひもとくと多くの戦いで戦費は常に低く見積もられ、後に肥大化していくことになる。戦争は始めるのは自分だけの意志だが、終わらせるには敵の合意が必要なのだ。自分がやめたくなった時、たいていの場合、合意を得るのは難しい。

 会合を主催した大蔵省の阪谷の頭の中では、日露戦争の戦費はざっくり4億5000万円という計算があった。日清戦争を実質1億5000万円として、その約3倍、ロシア軍を朝鮮半島から追い払うまでの予算である。

 このうち約5000万円を「非常特別税」という増税で集め、これに加えるにそれぞれ内国債2億円、外国債2億円の発行で賄おうとしていた。

『高橋是清自伝』には外国債1億円とあるが、それでは金本位制の維持が不可能であって阪谷がそう計算したとは思えない。

鮟鱇会

 会合がお開きになろうかという時に豊川が立ち上がり招待された財界人に向けて声をかけた。

「どうでしょう皆さん、この国庫債募集について懇談を継続して、皆さんの親睦を深めるために定例の食事会を設けようではありませんか」

 会場には「またか!」と大笑する声も聞こえたが、是清も参加している銀行業の親睦会「鰻会」を作った豊川は、この会では冬場ということもあって鮟鱇(あんこう)鍋を用意した。そのために日露戦争の国庫債募集に協力する会は「鮟鱇会」と呼ばれるようになった。鰻に鮟鱇である。

 これとは別に豊川は、あるとき宴席からなかなか帰らない「長尻会」というのも作った。先に帰る者が勘定を支払うというくだらないものだったが、時には政府首脳が参加して政局を語るというようなこともあったので、財界人はこうした豊川の宴席に競って参加したがったという。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

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