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小説 高橋是清 第71話 元老会議=板谷敏彦

(前号まで)日露開戦が迫る。大蔵省は銀行団に国債消化(戦費調達)への協力を要請、日清戦争遂行を財政面で支えた阪谷芳郎次官は、金本位制維持のため英国ポンド建て外債発行の必要性を説く。

 明治37年(1904)年年初、ロシアとの開戦のうわさから大きく売られた東京株式取引所(東株)も1月中は低位ながら比較的安定した動きを示していた。

 ところが2月2日から5日にかけては「諸株一直線に下落」して市場は売り一色となった。

 新聞はやれ開戦のための元老会議だとか、次は御前会議だと書き立てた。兜町はいよいよ本当に戦争が始まると考えた。

開戦前夜

 2月3日、新聞が書くとおり、元老会議が開催された。ロシアとの開戦を決める御前会議の前の会議である。

 会議を前に元老の一人である松方正義は桂太郎首相に対して注文を出した。松方は対露強硬路線の主唱者である。

 松方は言う。列強の一角、広大な国土と人口を持つロシアとの戦争は日本にとってまさに国家存亡の一戦となるであろう。されば、

「後日の責任の所在を明らかにせねばならぬ」

 日本が開戦するに至った経緯と理由を明確に文章にして、開戦の意志決定に参加した元老、閣員全員の署名連印を行うべきである。敗れた時に、亡国の責任は我らにありと残すのだ。その覚悟がなければ開戦などできぬ。

 桂は松方の指示どおりにその文章を手に元老会議に臨んだ。

 松方正義以下、山県有朋、井上馨、大山巌、小村寿太郎、桂太郎と文章に署名捺印したが、伊藤博文のみがこれを拒絶した。

「伊藤さん、この期に及んで何を躊躇(ちゅうちょ)されるのか?」

 松方が問うと、

「陛下の大命に依るに非ざれば連署することはできない」と答えた。

 ロシアとの戦争は誰であれ確かに怖い。それでも戦うのみである。翌日の御前会議へと議事は進んだ。この時代、現実には現職を離れた元老たちの意志決定力は弱まり、桂や小村たちの現役世代が日本を動かしていたと考えられている。

 翌2月4日、日露の和戦を決する御前会議が開催された。これに先立ち天皇は早朝伊藤を召し意見を尋ねたが、伊藤は今や開戦やむなしと答えている。

 出席者は伊藤、山県、松方、井上、大山の五元老に桂首相、小村外相、山本権兵衛海相、寺内正毅陸相、それに曾禰(そね)荒助蔵相だった。

 伊藤が議事を進行する。まずは海陸両大臣に戦争の準備状況をただし、これはつつがなく終わった。

 すると伊藤は次に曾禰蔵相に対して財政経済上の状況を尋ねた。もはや開戦は昨日の元老会議では決定事項なのだが、それでも伊藤が御前で執拗(しつよう)に戦費について突き詰めると曾禰は言葉に窮した。

「曾禰さん。いやしくも開戦にあたって、財政の困難は目前にある。大蔵大臣はこれにどう対処するのか?」

 曾禰は沈黙した。

「財政の基礎が定まらず、軍費確保の行方がわからぬようでは、どうやってロシアと戦うつもりなのか?」

 曾禰はついに一言も発しなかった。

 言葉を発しようにも陛下の前でうそをつかぬようにすると、軍費確保の保証などどこにもない。何も言えないのである。

 しかしそれにしても滑稽(こっけい)な風景である。日清戦争後の三国干渉以降、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の下に富国強兵、経済力、師団、艦隊を整備して、戦力を拡充してきた我が国だが、いざロシアと対峙(たいじ)して、戦争を始めることを決めたのはよいが、軍資金の見込みを問われると、これに大蔵大臣は何も答えることができないのだ。

 松方は伊藤の曾禰に対する追及を見て、もしかすると財政困難を理由に開戦を延期するつもりではないかと考えて曾禰に助け船を出した。

「財政の難易を論ずるのは平時のみのことである。いまやロシアと開戦するにあたり国家の存亡がかかっている。この非常時に臨み、国家の興廃と財政の難易との軽重いずれにありや」

 伊藤は自身の躊躇を見透かされ、あらぬことを口走った。

「松方さん、日清戦争の時には日銀総裁川田小一郎という傑物がいたが、今回はいない」

「伊藤さん、なぜにそんなことを今になって言うのか?」

 松方にすれば日清戦争の時も自分が十分に川田を援助したのであって、川田一人で金を集めたわけではない。

「君は献金で戦費を調達しようとしたが、あの時私が戦時公債募集の議を立てて日清戦争を乗り切ったのではなかったか」

 と異を唱えた。

 そして明治帝に向かってこう言った。

「陛下、私と井上が蔵相を補佐し、戦時財政を見ますので軍資金の方は、どうかご心配なさらないようお願いします」

 最後に伊藤が、準備万端とは言えないものの、もはや戦うほかなしと陛下の決断を促した。

 こうしてロシアとの国交断絶が決定し、2月6日にはその旨がロシアに通告されたのである。

 この会議終了後、沈黙した曾禰蔵相は責任をとるべく辞表を出した。

 これに対して松方は、「開戦と同時に大蔵大臣が辞職するようでは、国家威信の失墜である」と、断じてこの辞職を認めなかった。

株を買い支えた男

 2月2日から諸株一斉に下落を始めた兜町、御前会議の4日も下げは止まらない。取引所のバルコニーからやるかたなく立会場をみつめる東株理事長の中野武営に一本の電話が入った。農商務相の清浦奎吾からである。

 永田町の大臣官邸に呼ばれると、

「東株の責任者として、あなたは当然善後処置を講じなければならぬ。もし、株式市場がこのまま低落を続けるようであれば、政府は職権をもって市場を閉鎖する」

 清浦に厳しく詰められた中野は、その足で高田老松町の当時東京随一の金持ちと評判の渡辺治右衛門に個人的な株の「買い出動」を懇願した。

「ぜひ、買瀬切って(買い支えて)もらいたい」

 さすがの渡辺も、先祖代々の資産を賭しての買い出動にためらいはあったが、これから戦争という時に株価が下がるような国では外国公債の募集もままならぬと説き伏せられて、お国のためと、翌日から買いに出た。

 5日は地味に下値をパラパラと拾い、6日土曜日には、今度は派手に買いの手を見せると、市場には「どうにも政府筋の買いらしい」とうわさが流れた。すると空売りがドテンの買い戻しに変わり、強気一辺倒ですでに青息吐息だった「にんべん将軍」こと松村辰次郎率いるイ商店が息を吹き返すと、市場は大きく反転することになった。

 戦争の開始決定とともに、不安材料は出尽くし株式市場は切り返したのだ。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

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