「顔認証大国」化が進む中国 信号無視の回数まで監視も=岸田英明
中国では旧正月を前に「年の瀬」ムードが濃くなっている。この一年間の中国を振り返ると、大きなトピックとしては米中摩擦や景気減速が外せないが、生活者の視点からは「顔認証」の広がりが実感された一年だった。
自販機や小売店での決済、空港でのセキュリティーチェックや搭乗手続き、宅配ボックスの開錠、オンラインバンクや病院予約などのアプリ利用、ホテルのチェックインや入室──。2019年5月には貴陽市の地下鉄で全国初の「手ぶら乗車」が可能な顔認証改札が試験導入された。
顔識別機能を備えた監視カメラの普及も進んだ。19年の年初、筆者が暮らす北京中心部の住宅近くの横断歩道脇に100インチほどのモニターが設置された。信号無視をした歩行者の「犯行現場」を映し出すためだ。個人名は表示されないが、画面には「違反3回目」などと表示されることから、顔データが収集されているもよう。周辺はマンションやオフィスが建ち並び、毎日利用している歩行者が多いはずだが、違反が2回目以上のケースは少ない。識別精度に問題がないとすれば、一定の抑止効果が働いていると言えそうだ。
精度には差も
実際のところ、精度の問題に関しては、機器やソフトウエアによってかなりのレベル差が生じている。19年の秋、宅配ボックスサービス大手の「豊巣」はネット上で笑いの種になってしまった。顔認証開錠システムを導入したまでは良かったが、浙江省の小学生が母親の写真を引き伸ばしたカラーコピーで開錠に成功し、その動画が拡散したためだ。豊巣は同システムの運用中止に追い込まれた。
一方でキャッシュレス決済大手のアリペイやウィーチャットペイの顔認証決済システムは、3D識別とその他の技術の組み合わせで写真や動画、マスクなどによる「なりすまし」を排除できるとする。アリババによると、19年8月時点のデータでアリペイ決済の78%が生体認証(指紋または顔認証)で行われているという。
急速な普及を受けたトラブルも起きている。19年10月、杭州市内の動物園の年間入場パスを持つ男性が返金を求めて園を提訴した。入場時の認証方法が契約途中で指紋認証から顔認証に切り替わったことに異を唱えたもの。男性は訴訟の中で「公共の利益のためならまだしも、動物園に顔データは必要なのか」などと訴え、「顔認証ブーム」に一石を投じた。このほか、中国では19年12月から携帯電話加入時に顔識別による本人確認が義務付けられており、一部の中国人から顔データの流出などを懸念する声が上がっている。
中国人は日本人と比べてプライバシーよりも利便性を重視する傾向がある。だが、だからといって、無分別な顔データの提供を認めているわけではない。中国でも、顔データの提供に見合うだけの効用がなかったり、他で代替できるサービスでは顔認証の利用は広がらない可能性が高い。裏を返せば、条件を満たすサービスでは今後も普及が進むだろう。一方で当局による治安目的の顔データの収集と利用の拡大は確実に続く。後者については欧米諸国が「監視国家」批判を強めている。止まりそうにない中国の「顔認証大国」化の多方面への影響が注視される。
(岸田英明・三井物産〈中国〉有限公司シニアアナリスト)