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小説 高橋是清 第84話 クラリッジス=板谷敏彦

(前号まで)

 鴨緑江会戦勝利によって事態が好転する。ヤコブ・シフが是清に接触、500万ポンド分の日本公債の販売を引き受けるという。発行額はたちまち1000万ポンドになった。

 明治37(1904)年5月9日、パース銀行のアレキサンダー・シャンドがいつものように是清たちのホテルを訪ねてきてこう言った。

「高橋さん、クーン・ローブ商会のヤコブ・シフさんが是非あなたに直接お会いしたいそうです。今から私と一緒に行きませんか?」

 是清は日本公債を500万ポンドも引き受けてくれたシフにはとても感謝している。しかしどうも水面下で話が進み、公債の発行体である是清、つまり日本政府を抜きにして、クーン・ローブ商会の参加をシティーの業者たちだけで決めたことに少なからず不快感を抱いていた。

 キャメロン卿やシャンドは、今朝のように頻繁に是清のホテルを訪問しては情報を提供してくれる。それなのにヤコブ・シフは会いたいから来いとは何事だ。恩義こそあれ、我が日本国から見れば業者ではないか。ちょっとムッとしたのだ。

「シャンドさん、なるほどシフさんは国王陛下に拝謁できるほどの身分の高いお方なのでしょう。しかし今回のディールでは私は日本政府を代表しております。向こうからこちらへあいさつにくるのが筋ではありませんか」

 是清が強い口調でシャンドに言うと、日本で長らく働いた経験を持つシャンドは即座に是清の気持ちを理解して、恐縮した様子でホテルを出ていった。

 そしてシフを連れて出直してきたのである。

シフとの再会

 シフは確かに3日のヒル氏の家で開かれたパーティーで会ったその人だった。この人を相手に是清と深井は一生懸命に日本の伝統と現状について詳しく説明したのだった。

 シフは自分が呼び出されたことに対して、何のこだわりもなかった。是清は一瞥(いちべつ)してシフはどこか自分と共通の性質を持つ人間であることを強く感じた。包容力のある屈託のない笑顔、そしてそれはシフも同じことを感じた。

 その日の午後、今度は返礼に是清が深井やシャンドとともにシフが滞在するホテル、クラリッジスを訪問することになった。

 世界的富豪シフの定宿であるクラリッジス。ヴィクトリア女王が、このホテルに滞在中だったナポレオン3世の皇后ウージェニーを訪ねて以来、このホテルは唯一、国王が宮殿の外で賓客を迎える場所とされる。

 是清はその豪華絢爛(けんらん)さにまさに腰を抜かした。

「聞くところによると、この宿は各国の皇族や貴族、大富豪などの泊まるところで、その設備万端実に善美を尽くし、(是清が滞在する)ド・ケーゼル・ロイヤル・ホテルと比較しては月とスッポンの差である」

 貧乏人の悲しい性(さが)、日本はまだまだ貧しかった。是清はシフを呼びつけたことを恥じ入った。

「深井君、シフの宿は宮殿のようだったな。我々ももう少しましな宿に泊まらねばいかんかな」

 深井はうなずいたが、この男、実はあまり贅沢(ぜいたく)に興味がなかった。気のない返事というやつである。

 第1回 6%ポンド建て日本公債

 ◦発行総額1000万ポンド

 ◦クーポン 6%

 ◦発行価額 93・5ポンド(米国の参加により0・5ポンド改善)

 ◦政府手取り 90・0ポンド

 ◦償還期限 7年

 公債発行の仮契約は、米国が参加したことによって修正が入った。是清たちは7日にその条件を日本政府に電報して報告しておいたが、その返事が曾禰(そね)荒助大蔵大臣から届いたのはこの日、9日だった。

「その条件は満足という能(あた)わずともまたもって戦時財政の基礎を鞏固(きょうこ)にするを得べく、云々」

 公債発行額が1000万ポンドに膨れ上がったのは日本にとって天佑(てんゆう)に違いない。しかし期待したような起債条件ではなかったのだ。それでも林董(ただす)駐英公使と是清には各方面から多数の慰労の電報が届いたのであった。

「高橋日本銀行副総裁宛、公債募集の成功につき深く貴君の労を謝す」

大成功

 日本公債の募集申し込みは5月11日から始まった。その日の朝の英紙『タイムズ』はこう伝えた。

「5月10日東京発、日本のローンは戦争のためならず、金本位制維持のためである。人殺しのためには使われないので投資家はどうか安心してほしい。米国での募集も明日からだが、すでに売り切れが予想されている。なお9日のロンドン店頭市場では、募集価格93・5に対して発行前取引ですでに96・5を付けている」

 日本にとって非常に好意的な書き方であった。

 日英同盟もさることながら徳富蘇峰と深井英五がタイムズと良い関係を構築して以来の効果が、ここに表れていたのである。

 この日、是清と深井は、ロンドン株式取引所を訪れた。日本公債は債券だが、他国の公債同様、当時は株式取引所に上場したのである。

 是清と深井は取引所支配人のフレドリック・バンブロング卿とともにフロア(立会場)に出てジョバー(仲買人)たちから拍手とともに温かい歓迎を受けた。

 横浜正金銀行の前には、日本公債を申し込む人の行列が200から300メートルほど続いていた。列をなすというのはロンドンでは珍しい光景であった。日本公債はよほどの人気だったのだ。

 12日に募集は締め切られた。応募はロンドンで26倍、横浜正金銀行だけでも600万ポンドの申し込みがあった。ニューヨークの応募倍率は3倍だが、これは募集方法に違いがある。

 ロンドンで日本公債を買う場合、100ポンドについてまずは手付け5ポンドを支払って申し込む。その後、注文が確定した時に15ポンド、その後は1カ月毎に追加で25ポンドを支払い、最後に発行価格と100ポンドの差額を支払う。

 つまり最初の1カ月間は20ポンドの資金で発行価額93・5ポンドの日本公債に投資することができたのだ。一種の信用取引である。上場初日に96・5で売却できれば100に対して3ではなく、20ポンドの投資に対して3日間で3ポンドのもうけである。投機家が殺到するわけだ。

 一方で米国ではあまりに投機的になるという理由で分割払いは禁止されていたので、100ポンドを用意できる者しか申し込めない。また募集も数倍になった時点で締め切る慣行があった。

 ともあれ、こうして日本公債の発行は大成功に終わったのである。

 この日、是清は深井とともにパース銀行のシャンドと昼食を共にした。

「シャンドさんには、維新の時に日本の銀行制度創設でお世話になり、今回は再び日露戦争の資金調達ですっかりお世話になってしまいました。あなたの日本国への貢献ははかりしれません」

 是清はシャンドに深く感謝した。

 深井はようやく徹夜から解放されて、さわやかな顔をしていた。しかしもうあと1億円の募集が必要であることは是清も深井にもわかっていた。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

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