小説 高橋是清 第86話 戦には勝っても=板谷敏彦
(前号まで)
是清らが初のポンド建て戦時公債の発行に成功した頃、遼東半島攻略戦が始まった。人員の損失に加え、想定外の砲弾不足に陥り、戦費の見積もりの甘さが露呈する。
是清たちがようやく成し遂げた外債発行、国内にはその困難さが伝わっていないようだった。
是清は日本に帰って直接説明せねばと考えて、さっそく松尾臣善(しげよし)日銀総裁経由、曾禰(そね)荒助大蔵大臣宛帰国伺いの電報を打った。
ロンドン滞在は続く
その返事は小村外務大臣から林董(ただす)駐英公使宛にも届いていた。
6月27日、小村外務大臣より林駐英公使宛
【高橋副総裁に対し引続き倫敦滞在方訓令の件】
「大蔵大臣より、高橋日銀副総裁より外債募集済みにつき一応帰朝すべきや伺出たるも大蔵大臣は当分財政代理人の考えにて(高橋は)貴地に滞在すべき旨松尾総裁を経て訓令せり」
政府は時間をおかず次の発行を考えているのだろう。是清は帰朝が許されないのであれば、どうせ必ずやってくる次回の発行に備えてロンドンの各銀行、ロスチャイルド家やカッセル卿、ベアリング商会などとのリレーションを強化することにした。
林公使は是清が「政府財政代理人」と名乗ってもよいかと小村外務大臣に問い合わせたが、小村の返事は「臨時財政代理人」と名乗れというものだった。臨時では軽く見られる。
「高橋君、もうしわけがないな」
林公使がわびるが仕方のないことだ。
しかし、仕事に不満だからと手を抜いても、結局自分にかえってくるだけだ。深井とともに地道に彼らを訪ねては親密な関係を構築していったのである。
日本の絹織物は上流階級のご婦人には貴重品だった。是清はプレゼントに多用した。
ロスチャイルド家には白い藤の花の盆栽を、また少し後のことになるが、是清はカッセル卿を通じて国王エドワード7世の王妃アレクサンドラが日本犬の狆(ちん)を欲しがっているとの依頼を受けた。早速日銀に手配を依頼、日銀では人を出し、名古屋方面まで行って最高の狆の番(つが)いを見つけ出した。そして飼育員の厳重な管理とともに海を渡って無事英国王室まで送り届けられたのである。
これには現代でいう数千万円の費用がかかったが、カッセル卿は一英国人という名前でこの費用よりもはるかに多い金額を日本の慈善事業に寄付をした。寄付先は是清に委ねられた。
このリレーションシップ・マネジメントこそ是清の真骨頂であった。
6月30日、英『デイリー・メール』紙に日本が再び起債をもくろんでいるとの観測記事が掲載された。すると、この日を境に日本の公債価格は調整に入った。まだそれほどの需要がないのだ。市場は日本政府による2回目の起債を許さなかった。
南山の戦いを受けて、6月に松尾日銀総裁が戦費見積もりを10億円と修正した時、旅順要塞(ようさい)は7月にも陥落と想定されていた。
しかし戦場においては、ロシア軍が構築した要塞は近代的で大規模で強固であると予想され、総攻撃の準備はなかなか進捗(しんちょく)しなかった。
8月7日、乃木軍指揮下に入っていた黒井悌次郎中佐率いる海軍陸戦重砲隊が12センチ砲2門で旅順港内に対して砲撃を開始した。
山越えに見えない目標に対して、地図上を碁盤目状に区切って弾道を計算しながら一目ずつ潰していく射撃法である。これが効果を上げた。
初日から旅順市炎上、重油タンク爆破、商船撃沈など成果が上がったが、9日に入ると湾内に避難中の戦艦「レトウィザン」、巡洋艦「ペレスウェート」にも命中するようになった。
こうなると旅順港はロシア艦隊にとって決して安全な港ではなくなってしまった。戦わずして旅順艦隊が壊滅してはつまらない、ロシア艦隊は旅順を脱出して一路ウラジオストクへと逃避することになった。
引き籠もっていた艦隊が港を出る。これが明治37(1904)年8月10日の黄海海戦生起の理由である。
海戦の詳細は省くが、旅順港から出てきたロシア艦隊に対して日本の連合艦隊は、旗艦「ツェザレビッチ」に砲弾を集中、この結果マカロフの後を継いでいたヴィトゲフト艦隊司令長官が開戦早々に戦死してしまった。すると艦隊は指揮系統が混乱して、ウラジオストクへの逃避行を中止、再び旅順港内に退避してしまったのだった。
この時のロシア旅順艦隊の損害は甚大で事実上の壊滅状態に陥ったのである。
しかし、その事実を知らない日本軍は、旅順艦隊のバルチック艦隊との合流を阻止すべく、ここからあの苛酷(かこく)な旅順要塞攻略を始めるのであった。
日本公債は下落
1回目の旅順要塞総攻撃が8月19日から、また満州では、第1、2、4軍による遼陽攻撃が8月28日から始まる予定だった。
政府としては鴨緑江(おうりょくこう)の戦いでの戦勝が公債発行に有利に働いた先例に倣い、これらの戦いにおける勝利によって第2回目の公債発行が容易になるのではという思惑があった。
かくして始まった旅順要塞攻撃も大量の砲弾と1万5800人もの損失を出して失敗。
遼陽の会戦ではロシア軍は北の奉天に向けて早々と退却、日本は2万3000人もの損失を出して占領という勝利を得たものの、ロシア軍を包囲殲滅(せんめつ)という目標を達成できなかった。こうして満州での戦いは奉天という次のステージへと移行することになったのである。
これを見たロンドン上場の日本の公債価格は上昇するどころかむしろ下落(利回りは上昇)した。日本はこの先再びファイナンスが必要であることを市場に見透かされたのだ。
外国に砲弾や軍需物資を発注しなければならない日本政府、第1回の公債発行で獲得した正貨は早くも尽きようとしていた。
(挿絵・菊池倫之)
(題字・今泉岐葉)