「スペインかぜ」当時に新たな社会建設を学ぶ=井上寿一
新型コロナウイルス感染症にどう対応すべきか、日本近代史に手がかりを求めて考えてみようと本を探したものの、大半は入手困難だった。このような出版状況のなかで、高価なオンデマンド書籍ではあっても、内務省衛生局編『流行性感冒』(平凡社、3000円)を紹介したい(平凡社ホームページで無料公開中)。
今から約100年前の1918年から20年にかけて、「スペインかぜ」(インフルエンザ)の猛威が世界を席巻した。日本での死者は約38万8000人だったという。本書は当時の公衆衛生の担当部局による精緻な報告書である。
100年前も感染症の予防方法は、今と変わらない。マスク着用・手洗いとうがい励行が基本である。いくつものポスターを使って啓蒙(けいもう)に努めている。品薄のマスクを転売する悪徳業者は、警察の取り締まりの対象だったようである。
この報告書は「スペインかぜ」の流行が全国的で、その広がる範囲も「一部階級に極限せずして職業、年齢」を問わない、広範なものであると指摘する。ここから学校や公共団体が簡易マスクを急造して、貧困者に無料で配るようになる。あるいは無料診療所を設けたり、スラム街の巡回治療を実施したりしている。
当時と今とでは社会保障制度などがちがいすぎるから、当時の方が貧困層に手厚いとは言えない。それにしても、なぜこのような社会的な弱者の救済がおこなわれたのだろうか。
季武嘉也(すえたけよしや)編『日本の時代史 24 大正社会と改造の潮流』(吉川弘文館、3200円)によれば、この頃(大正時代)になると、貧富の差が社会に起因していると意識されるようになった。このこともあって、「スペインかぜ」が流行する一方で、労働組合・農民組合が次々と結成されている。第1回のメーデーが開かれたのは、1920年のことである。
以上からわかるように、大正時代の日本は、「スペインかぜ」に見舞われながらも、貧富の差を是正する新しい社会を作ろうとしていた。
今の日本も危機的な状況の克服をとおして、どのような新しい社会を建設するのかが問われている。
(井上寿一・学習院大学学長)
この欄は日本史、西洋史、現代史、中国史の各分野で掲載します。