Q&A ゼロから分かる量子暗号=編集部/監修・情報通信研究機構(NICT)
Q1 量子暗号の仕組みは?
A1 光は波と粒(光子)の性質を併せ持つが、量子暗号は光子の性質を応用したものだ。光子は分割ができず、測定(のぞき見や、姿を確認すること)するとその状態が変化する。状態を変えずにコピーすることは不可能であり、盗聴すると必ず痕跡が残る。この性質を使えば2者間で盗聴の恐れのない安全な暗号鍵を共有すること(量子鍵配送)ができる。
具体的には、ランダムに生成された0と1のビット(情報処理の単位)情報を光子に乗せて伝送し、盗聴の痕跡が残るビット列を捨てることで安全な暗号鍵を送受信者間で共有する。送信者は、秘匿したいデータに暗号鍵を掛けて送信し、受信者は受け取った暗号文に暗号鍵を掛けて元のデータを復元する。この際、暗号鍵は元データと同じサイズを用意し、一度使った暗号鍵は二度と使い回さず(ワンタイムパッド)破棄する(図1)。量子鍵配送とワンタイムパッドを組み合わせることで未来永劫(えいごう)解読できない暗号通信を実現することができる。
Q2 量子暗号のメリットは?
A2 他の暗号方式は、計算技術の進展とともに、暗号鍵の長さ(図1の目隠しシールの長さ)を伸ばしたり、アルゴリズム(計算方式)を更新する必要があり、ハード・ソフトウエアの移行作業に膨大なコストがかかるが、量子暗号は更新の必要がないことだ。量子暗号は、どんなに盗聴技術や計算技術が進展しても解読できないことを証明できる現在唯一の暗号技術だからだ。また、元データを複数の断片ファイルに変換し分割・保存する「秘密分散」という技術と組み合わせることで、将来にわたり情報漏えいのないデータ保管を実現できる。
Q3 量子暗号と量子コンピューターの関係は?
A3 双方とも量子力学の性質を使った技術である。測定すると量子の状態が変化するという「不確定性」を応用したのが量子暗号だ(図2)。これに対して、異なる複数の状態が同時並行で存在できるという「重ね合わせ」の性質を情報処理に用いたのが量子コンピューターで、「0」と「1」のビット列の膨大なパターンを「重ね合わせ」の状態で表現し同時並行で一気に処理できる(図3)。
量子コンピューターが実現すると、RSA暗号など現在使われている主要な暗号は解読されてしまう。量子暗号は、量子コンピューターも含めて、どんな計算機でも解読できないことが保証されている暗号技術である。
Q4 量子暗号活用が期待される分野は?
A4 安全保障分野では、外交・国家機密や武器情報などを秘匿するのに有効だ。医療分野では、病歴や遺伝子配列データなど高度な個人情報を保存した上で、情報管理センターでデータを集約。専門家がネット上で症例会議にデータを用いたり、遠隔地の病院へ患者データを送信することも想定される。
また、生体認証の分野でも量子暗号の応用が研究されている。生体認証の原本データは一旦漏えいすると、大きな被害につながる恐れが高いが、量子暗号と秘密分散を組み合わせることで漏えいのない安全な保管を実現することができる。このほか、マイナンバーや納税情報などの公共部門、金融など、官民あらゆる分野での応用が期待されている。
Q5 量子暗号の伝送距離は?
A5 量子暗号では、基本的に光ファイバーを通して暗号鍵を共有する。しかし、光は伝送距離が長くなるほど減衰する。従来の光通信ならば、減衰する光を増幅する増幅器を光ファイバーネットワークの随所に設置すればいい。
だが、光子に対しては従来の増幅器は「量子の不確定性」の効果を消し去ってしまうため使えない。量子中継という新たな技術が必要になるが、まだ実用化には多くの年月がかかる。このため、暗号鍵を直接伝送できる距離は今のところ50キロメートル程度だ。今後は、光ファイバーの素材開発や光子の検出精度向上などの技術発展によって100~150キロメートルに伸びそうだ。
Q6 量子暗号はどう広域化するのか?
A6 直接伝送距離は50キロメートル程度だが、一定区間ごとに安全に管理された中継点を用意し、その中で一旦、量子力学の世界から出て、暗号鍵を別の暗号鍵で暗号化しバケツリレーすることにより広域の量子暗号ネットワークを構築できる(図4)。
Q7 大陸間をまたぐ量子暗号はどうするのか?
A7 在外公館との外交機密のやりとりには、セキュリティー対策が必要だ。ただ、海底ケーブルには光増幅器があり、海をまたいだ量子暗号は不可能だ。
そこで、有効なのは人工衛星による量子鍵配送だ。光ファイバーと異なり、宇宙空間は真空で光に影響を及ぼすものがない。人工衛星から光子を地上2地点の受信機に送ることで、大陸間でも量子鍵配送を実現できる(図5)。ただ、高速で移動する人工衛星から光子のビームを地上の受信機まで正確に送信し、移動の間、正確に捕捉し追尾する必要がある。
Q8 人工衛星による量子暗号の実現見通しは?
A8 2017年7月、中国科学技術大学を中心とする中国のチームが、人工衛星「墨子」(680キログラム)を用いて、衛星と地上局間での量子暗号の実験に世界で初めて成功した。日本では、17年6月に情報通信研究機構(NICT)が、「墨子」の10分の1以下となる50キログラムの小型衛星で、光子を用いた量子通信の実証実験を行っているが、暗号鍵の生成までには至っていない。欧米など海外でも衛星量子暗号のプロジェクトを進めており、23年以降実証実験が行われる予定。
Q9 量子暗号市場を担う産業は?
A9 量子暗号ネットワークは大きく分けて、(1)2地点間で暗号鍵を共有する機能、(2)暗号鍵を中継点を介して広域にリレー配送する機能、(3)暗号鍵を用いて安全なデータ通信やデータ保管を行うアプリケーション機能、を担う三つのレイヤーからなる。
(1)は量子暗号装置の製造メーカー、(2)はシステムインテグレーター、(3)は通信事業者やサービスプロバイダーなどが担うことが想定される。
このほか、量子暗号装置内の変調器や光回路などの光学部品を供給する光学メーカー、光源や光子検出器を製造するデバイスメーカー、高機能光ファイバー製造には電線メーカーもかかわる。量子暗号サービスの運用には、量子暗号装置や量子暗号ネットワークの評価、検定、認定を行う監査業者もかかわる。
(編集部)
(監修・情報通信研究機構(NICT))