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「ゆるい移住」の先駆者「玉村豊男氏の千曲川ワインバレー」はなぜ成功したのか=藻谷ゆかり(巴創業塾主宰)

玉村豊男さん
玉村豊男さん

 筆者が移住した長野県東御(とうみ)市は、旧東部町と旧北御牧村が2004年に合併してできた人口わずか3万人弱の市であるが、10のワイナリー(ワイン醸造所)と八つのヴィンヤード(ワインぶどう畑)が集積している。東御市がワインシティへと変貌するまでの歩みは、1991年にエッセイストの玉村豊男夫妻が旧東部町に移住し、92年に自宅前の荒地を開墾して500本のワイン用ぶどうの苗を植えたことから始まった。

病がきっかけで移住を決意

 東京都出身の玉村豊男さん(74歳)と妻の抄恵子さん(69歳)は、「新しい田舎生活者」を目指して83年に東京から長野県軽井沢町に移住した。しかし86年に豊男さんが輸血で慢性肝炎となり、残りの人生を田園で農業をしながらのんびり暮らすことを決意、91年に旧東部町に眺めの良い土地を見つけ移住する。

 夫婦2人で荒地を開墾し、さまざまなハーブや野菜を植えたが、学生時代にフランス留学経験がありワイン好きの豊男さんは、翌年メルローとシャルドネの苗500本を入手し、余っている畑に植えた。当時大手酒造メーカーがこの地にワイナリー建設を計画しており、玉村さんは近隣の農地をワインぶどう畑へ転換することなどをサポートしていた。

 ところがこの計画が中止となり、ワイナリーの準備を進めていた若いワイン醸造家が路頭に迷う状況下で、玉村さんは個人でこの地にワイナリーを設立することを決意する。家族の猛反対もあったが1億円以上を借金し、建設費用約1億6000万円をかけてレストランを併設した「ヴィラデスト ガーデンファーム&ワイナリー」を04年に開業した。

 ヴィラデストのワインは高く評価されるようになり、08年の北海道洞爺湖サミットの首脳会食で供され、同年には国産ワインコンクールの欧州系白ワイン品種部門で最優秀カテゴリー賞に選ばれている。

 玉村さんのもとには「自分もワインぶどうを育てて小規模ワイナリーをやりたい」と希望する人たちが訪れるようになる。ある地元出身者が、ワインアカデミーと委託醸造施設を設立し、千曲川沿岸に小規模ワイナリーを集積させて地域を活性化するプロジェクトを企画し、玉村さんがアドバイスしていたが、その人は途中でプロジェクトをあきらめてしまった。

 玉村さんがこの構想を『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』(集英社新書)に著したところ、農林水産省の6次産業化ファンド関係者がヴィラデストを訪れて「ぜひこのプロジェクトを玉村さんがやったほうがいい」と勧めた。

 結局、玉村さん自身がこのファンドなどからの投融資や農林水産省の補助金を活用し、投資総額約2億5000万円かけて、ワインぶどうの栽培からワインの製造・販売まで教える「千曲川ワインアカデミー」と小規模ワイナリーの委託醸造を受ける「アルカンヴィーニュ」というワイナリーを15年に設立した。

「玉村チルドレン」が次々と

 千曲川ワインアカデミーからは毎年約30人が巣立ち、卒業生は長野県内外で新しくワイナリーを設立している。また玉村さんのワイナリーであるヴィラデスト出身の「玉村チルドレン」は独立して、長野県内でワイナリーやレストラン、パン屋などを開業している。

 例えばヴィラデストの農園で働いていた神奈川県出身の宮野雄介さんは、東京都出身の厨房スタッフの女性と結婚、東御市内で西洋野菜やワインぶどうを栽培する「アグロノーム」を経営し、3男2女の子供たちとにぎやかな家庭を築いている。

 東御市のワインツーリズムの中心地となったヴィラデストには毎年3万人以上の観光客が訪れ、ぶどう畑の風景とともに、この地でできたワインと地場野菜の食事を楽しんでいる。

 東御市を約30年かけて国内有数のワインシティに変えた玉村さんは、まさに「移住者のレジェンド」といえる存在である。

(本誌初出「移住の先駆者・玉村豊男さん(エッセイスト) 30年かけ「ワインシティ」築く=藻谷ゆかり」)

(藻谷ゆかり)

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