経済・企業歴史でわかる経済危機

変わる社会保障 ベーシックインカム導入を主要国が検討する「必然性」=井上智洋

    閑散とする大阪の繁華街十三(じゅうそう)。コロナ禍で大量の倒産、失業が懸念される
    閑散とする大阪の繁華街十三(じゅうそう)。コロナ禍で大量の倒産、失業が懸念される

     新型コロナウイルス感染拡大の危機で注目を集めている社会保障制度がある。国民全員に生活に必要な最低限のお金を給付する制度で、一般に「ベーシックインカム」(基本所得、BI)と呼ばれている。例えば、月に7万円といったお金が、政府から国民に支給されるものだ。(歴史でわかる経済危機)

     主要国でまだ本格的に導入した国はないが、今年3月にジョンソン英首相がBIを検討すると述べ、4月にスペインのカルビニョ経済相がBIを導入すると発表した。米国では一部の富裕層を除く全ての国民に対し最大1200ドル(約13万円)、子どもは500ドル(約5万5000円)を給付することが決定された。日本でも居住者全員に10万円を給付する「特別定額給付金」が策定されている。

     これらは、1回限りの予定で「一時的なBI」と位置づけられる。日本でもリーマン・ショック後、景気刺激策として定額給付金が実施されたが、一時的であれ世界各地でこれほどの規模のBIが実施された例はない。危機が長引けば「恒常的BI」として根付く可能性もあり、社会保障制度が様変わりするかもしれない。

     近代的な社会保障制度の源流は、1601年に英国で制定された「エリザベス救貧法」にさかのぼるが、本格的な制度導入は19世紀のドイツ帝国で始まった。「鉄血宰相」ビスマルクは、社会主義者鎮圧法を制定して労働運動を弾圧する一方で、医療保険、労災保険、年金保険を整備することで「アメとムチ」による統治を行った。

     社会保険と公的扶助を組み合わせた現代的な社会保障制度は、英国の経済学者ベバリッジが発表した「ベバリッジ報告書」(1942年)によって整備された。社会保険によって老齢や失業といった人生におけるさまざまなリスクをカバーし、それでも応じ切れない場合に生活保護のような公的扶助で救済するというビジョンが示されたのである。

     BIはこうした社会保障制度の歴史の流れにはない。英思想家トマス・スペンスが18世紀末に著書『幼児の権利』で示した提案が、全員に定期的に現金を給付するというBIのアイデアとしては最古のものだ。しかし、後世に引き継がれることはなく、BIのアイデアは、歴史の中でたびたび浮かんでは消えていった。BIの研究が継続されるようになったのは、86年にBIに関する国際組織「ベーシックインカム欧州ネットワーク」(BIEN)が設立されてからだ。

    フィンランドで実験も

     近年は、BIに関する実験も盛んに行われている。フィンランドでは、2017年1月から2年間、失業者2000人に対して月に560ユーロ(約6万8000円)を給付する社会実験を実施。求職状況などによって受給額が変わる失業手当との違いを調べた。

     近年のBI論議の高まりの背景には、AI(人工知能)ブームがある。AIの普及によって多くの労働者が職に就けないことや、十分な収入が得られない事態が発生することが予想され、既存の社会保障制度は機能不全に陥る。社会保険では支援されない弱者が多数、生活保護のような公的扶助の対象となることが考えられる。

     だが、公的扶助は、救済すべき者とそうでない者をより分ける選別主義的な社会保障制度である。AI時代には、公的扶助の対象者が劇的に増大し、そうした選別は困難となる。したがって、あらゆる者を漏れなく救済する制度が必要となる。それこそが、普遍主義的な社会保障制度であるBIだ。

    「2階建て」の提案

    (出所)筆者作成
    (出所)筆者作成

     先進国では貧困者が比較的少数だったので、日本でもBIが広く知られることはなかった。だが、コロナ危機によって限定的なBIが実施されることで概念が広く認知され、日本でも導入検討の機運が高まるだろう。今回の危機によって、多くの人々が貧困に直面する恐れがあるからだ。安倍晋三政権が4月7日に緊急経済対策の目玉として発表した、減収世帯のみに30万円を給付する方式が国民から不評を買い、9日後に一律10万円給付に変更したのは、人々にBI的な考え方を受け入れる素地が整ってきたことの表れだろう。

     10万円一律給付の財源(12兆8800億円)は国債の発行だ。同時に日銀は4月27日の金融政策決定会合で、「年80兆円」としてきた国債の買い入れ上限を撤廃した。こうした政策手法は、中央銀行が政府支出をファイナンスしていることを意味しており、「財政ファイナンス」と呼ばれる。英国でもコロナ危機下で、イングランド銀行が国債を直接買い入れて政府支出を行う「直接的な財政ファイナンス」の導入が計画されている。

     筆者はBIの導入に向け、緊急時ばかりでなく平時からこの直接的な財政ファイナンスを行うべきだと考えている。財政ファイナンスを巡っては、通貨の信認が損なわれるとの指摘があるが、そもそもこうした指摘には根拠がない。逆説的になるが、日銀は金融緩和の一環として累計30兆円以上のETF(上場投資信託)を買い入れているものの、株式の下落によってETFに含み損が生じても通貨の信認は揺らいでいない。

     BI導入では「財源をどう確保するのか」という議論が絶えないが、筆者はお金を作ることから得られる利益である「通貨発行益」(シニョリッジ)を活用すればよいと考えている。お金(マネーストック)を、少なくとも年率5%は増大させないと望ましいインフレ状態を作り出せない。マネーストックは現在約1000兆円であり、その5%は50兆円である。政府がそれだけの新規国債を日銀に購入させて、これを財源にBIを実施するのである。

     ただ、シニョリッジ分を政府の一般財源にそのまま充当すれば、政府には多目的に際限なく使いたい誘因が生まれ、財政規律を失いかねない。そのため、シニョリッジは使途を限定してBIにのみ活用することとし、国債を買い取る額は中銀が主体的に決める仕組みを導入することが必要となる。また、中銀はインフレ目標を堅持し、通貨の価値を保つことも必須の条件となる。

     筆者はよりよいBIとして、「2階建てのBI」を構想している。1階部分は「固定BI」で、税金を財源として最低限の生活を保障する。2階部分は「変動BI」であり、通貨発行益を財源とする。景気が良い時には給付額を減らし、悪い時には給付額を増やすことで景気のコントロールが可能になる。

     AI時代とコロナ後の両方の時代を生きていく我々は、社会保障制度ばかりでなく貨幣制度も抜本的な見直しを迫られるだろう。

    (井上智洋・駒沢大学経済学部准教授)

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