小説 高橋是清 第95話 講和への道=板谷敏彦
(前号まで)
ロシア国内で高まる革命運動。戦況にかかわらず、欧米投資家たちは日本優勢と考え始める。バルチック艦隊が接近する中、渡米した是清は第3回公債発行を成功させる。
明治38(1905)年3月26日、第3回公債発行の諸条件も決定し、是清たちにもようやく少し時間に余裕ができた頃である。
是清は深井とともに、ロンドンのロスチャイルド家を訪問した。
ロスチャイルド家はさまざまな国に向けて投資しているため、どこかの国と敵対するわけにもいかず、交戦中の国家の公債発行に対しては引き受け団には参加しないと決めていた。
しかしながら是清は、目先のことはともかく、戦後の公債発行などを考慮して、ロスチャイルド家とは交際を深めていた。また当家は既発債の市場売買は活発に行っていたので、市場では日本公債の買い手でもあった。
この日はナサニエル・メイヤーとアルフレッド・ロスチャイルドの兄弟が応対してくれた。
アルフレッドが口を開く。
「ロシアは革命騒動の中、奉天会戦に敗北したのだから、いよいよ講和談判が始まるでしょう。
となると、日本は君のような金融財政に精通した者を委員とせねばならぬであろうに、何故君は委員となっていかないのだ? ふふふ」
是清はお世辞にのりやすい。
「あははは。日本には財務に明るい人がたくさんいますから、あえて私がいかなくてもよいのです」
うれしそうな顔で答えた。
パリ証券取引所
ロスチャイルド家では、奉天会戦の敗北をもってロシア皇帝は戦争継続を断念するのではと読んでいたのだ。これはロスチャイルド家がロシア帝国の軍資金難という台所事情を知っていたためでもあるだろう。
2日後の28日、ロスチャイルド家系のパンミュール・ゴードン商会のコッホの手配で、是清はパリ証券取引所仲買委員長のベルヌーイと面会した。パリからわざわざロンドンまでやってきたのである。これは同盟国ロシアに見つかってはまずい、極秘の行動であった。
当時のパリ証券取引所は政府の関与が強い市場だった。仲買委員長は政府の指名であり、上場銘柄は政府からの制約を受ける。従って外国銘柄などは政府の外交政策に大きな影響を受ける。
例えば日露戦争中は、露仏同盟の同盟国ロシアに敵対する日本の公債などを上場することはできないのだ。
しかるに今、是清の目の前にはパリからわざわざやってきた仲買委員長のベルヌーイがいるのだった。
「高橋帝国日本政府特派財務委員殿、
日露戦争もそろそろ潮時でしょう。ロシアとの和平交渉が締結したあかつきには、是非ともパリ市場で日本公債を発行していただきたくごあいさつに参った次第であります」
これはドイツのみならずフランスまでもがロシアを見限ったことになる。ベルヌーイの提案は和平後の日本の極東地域での影響力をにらんでの権益確保の布石であった。
* * *
ちょうど是清がベルヌーイと会った日の日本では、満州軍総参謀長児玉源太郎が戦場である奉天から新橋駅に到着していた。
大本営は、奉天占領後すぐに新たな作戦方針を策定しウラジオストク、樺太、鉄嶺までの占領計画を策定した。
しかし実行には大山巌、児玉源太郎の満州軍との打ち合わせが欠かせない。大本営はそのために児玉を呼び戻したのである。
ところが、新橋に出迎えた長岡外史参謀本部次長の顔を見るなり児玉はこう言った。
「おれは戦争を止むるために上京したのだ」
奉天の会戦の勝利。大山と児玉はもともとロシアに対する軍事的な勝利はこのあたりが限界であると考えていた。
しかも今回の作戦も遼陽の会戦に続いてロシア軍を包囲殲滅(せんめつ)するという目的は果たせず、敵主力を再び北へと逃してしまったのである。
ロシア軍をシベリアまで追おうとも、日本軍はモスクワまで進撃し占領することは不可能である。いずれどこかで戦争を止めなければならない。二人は今がその時だと考えた。
児玉の計算では、日本は開戦以来の1年半で15億円もの戦費を費消、仮に戦争を継続して鉄嶺の北ハルビンまでの占領を考慮すると、期間2年、さらに追加の戦費として20億円が必要になるとの結論だった。
開戦前年の日本の国家予算は2億7000万円、銀行預金総額10億円ほどしかない国が、35億円もの戦費負担に耐えられるわけがない。ましてや日本は今や下級将校や下士官など現場の兵力が枯渇している。金も兵も尽きたのだ。
児玉は何としても政府首脳、元老たちの頭の中を早期戦争終結にまとめなければならぬと決意を固めて帰国してきたのだった。
是清たちの頑張りで新規に3億円の外貨を獲得し、「日本は資金調達の戦いにおいてロシアに勝利した」と世界のメディアから称賛されていた時期である。大本営で児玉が語る戦場の現実は奉天会戦の戦勝に喜ぶ元老や政府首脳たちに冷や水を浴びせた。
「この上は戦えぬ」
「それほど慌てずともよいだろう」
元老や閣僚たちの中でも小村寿太郎外務大臣は、講和を策定するのであればバルチック艦隊撃滅後の方が有利であると考えていた。海戦には最初から勝つ気でいたのだ。
是清が進める資金調達の細部にまでかかわってきた小村は、外債償還、すなわち借りた金の返済による戦後の財政資金の逼迫(ひっぱく)を考慮し、是非ともロシアから賠償金を獲得せねばならぬと考えていた。そのためには明確な勝利の証しが欲しい。すなわちバルチック艦隊の撃滅が必要である。
強気を語る小村に児玉はこう言った。
「小村さん。
この上は戦えぬ。日清戦争の時は軍人が和平を欲しなかったが、この度は軍人の方より講和を望んでいるのである。
外務大臣は強いて談判をまとめてくれ」
時を間違うととんでもないことになると児玉は小村に警告したのだ。
こうして閣議で早期平和克復方針が承認され、4月17日の元老会議で「日本より米国を間に立て、働きかけの手段をとる」と決定したのである。日本は講和に向けて動き始めた。
しかしロシア皇帝ニコライ2世は、奉天の敗戦で降伏する気などはなかった。
この時、ロシアが誇るバルチック艦隊は日本の連合艦隊を征伐すべく東進中である。艦隊に期待のすべてを懸けていた。
艦隊は4月8日にシンガポールを通過。
ロシアは満州の戦場に陸続きだが、日本は満州への補給に渡海が必要だ。
ニコライ2世にしてみれば、日本艦隊を撃滅させ制海権を確保すれば、形勢は一気に逆転する。
勝機はまだまだ残されていると信じていた。
(挿絵・菊池倫之)
(題字・今泉岐葉)