小説 高橋是清 第94話 第3回公債発行=板谷敏彦
(前号まで)
日本軍は奉天で露軍と激突。露軍は撤退するものの、遼陽の会戦に続き、包囲殲滅(せんめつ)を果たせなかった。戦費は尽き、逼迫(ひっぱく)する国内事情の中、バルチック艦隊が日本に接近する。
明治38(1905)年1月22日の「血の日曜日事件」を受けて、革命騒動によってロシアの戦争遂行能力は低下しているとロンドン市場はみていた。日本公債が買われて利回りは低下し、反対にロシア公債は売られて利回りが上昇しつつあった。
これを見たロンドンの金融業者たちは起債担当者の是清がまだ日本に帰国中であるにもかかわらず、次の日本の公債発行に向けて活発に動き始めた。
最後の資金調達
金融業者たちは是清と関係が深い横浜正金銀行ロンドン支店長の山川勇木に接触して発行を促す。
また2月初旬にベアリング商会のレベルストック卿がクーン・ローブ商会のシフ宛てに、シフの日本での叙勲が決まったという連絡の電報を発した際にシフが返した電報には、
「アメリカでは日本公債の追加発行が可能だ」とお礼の返事に付け足している。皆、今こそ商機だと感じていた。
銀行は雨が降ったら傘を取り上げ、やめば貸してくれるという辛辣(しんらつ)で古い皮肉があるが、確かに借金は苦境にあって欲しい時は貸してくれず、状況が良く余裕がある時には頼まなくとも貸してくれるものなのだ。
3月6日、ニューヨークに到着した是清はウォルドルフ・アストリア・ホテルに投宿した。
この日、ロンドン市場上場の日本公債は買われてその利回りは4・62%まで下落していた。思えば昨年の今ごろの利回りは6・2%もあり、是清が日本を離れてロンドンに到着するまでの間、日本公債の価格は下がり続けていた。ところが今回はこれが逆なのだ。是清が旅する間日本公債は買われ、価格は上昇を続けていた。
3月8日、是清はクーン・ローブ商会のシフと、彼の邸宅で会った。
この日のニューヨークの朝刊には既に陥落直前の奉天市内の大混乱の様子が報道され、日本の勝利はほぼ確実視されていた。
「シフさん、今回の募集は今年1年分として大きな金額を発行して、これを最後にしたいと思います」
是清が政府から受けた命令は、2億円ないし2億5000万円の公債発行だったが、是清は、ここは政府の要求を上回る金額を発行して、本当にこれを最後の資金調達にしようと考えたのだ。
「金額はいかほどをお考えですか?」
シフもその最後という考えに同調したが問題は金額だ。
「3億円でいかがでしょう」
それぐらいならば問題はあるまい。
「今後1年分ということであれば、大丈夫でしょう。米国で半分を引き受けましょう」
と、シフは即答した。
「ところで高橋さん、前回ニューヨークに来られた時にお会いいただいたマックス・ウォーバーグを覚えていらっしゃいますか?
彼ら、つまりドイツが日本公債の発行に興味を持ち始めているようです。今回はドイツの参加もご考慮いただけないでしょうか?」
「シフさん、そうは言ってもドイツはロシアにファイナンスしているではありませんか」
高橋はドイツと聞いて意外な感じを受けた。
「高橋さん、重要なのはそこです。マックスはドイツ皇帝に近侍しております。ドイツはロシアが戦争に負けると考えている。つまり、ドイツは戦後の極東における利権に日本が大きな力を持つと考えている証左ではありませんか?」
是清に異存はなかったが、本国政府やロンドンの銀行団に相談してみると答えた。
発行条件について、クーポンは前回の6%から4・5%へ、償還期間は7年から20年へと、シフは是清の希望の通りに承諾してくれた。
シフは、ロシアの革命騒動、奉天の戦勝ムードから日本公債はロンドンやニューヨークで人気が出ると確信していた。
低下する利回り
ニューヨークを離れた是清は19日にはロンドンに到着した。
今回の発行条件に関してはシフのお墨付きもある、主導権はもはや是清にあった。
翌日ロンドン銀行団を招集するとシフと打ち合わせた条件を提示するだけで、誰も反対はなかった。ただしロンドンの金融業者たちは、にわかに日本政府に群がる新規の業者の参加と、ドイツの銀行の参加だけは強硬に反対した。こうして第3回公債発行の諸条件はあっさりと決まった。
第3回公債発行
・公債発行総額 3000万ポンド(3億円)
・クーポン4・5%
・償還期間 20年
・発行価格 90ポンド
・担保 たばこ税
・募集開始は3月29日
引き受けは英米それぞれ1500万ポンド、ロンドンでは全欧州中から申し込みがあり、ニューヨークでは全米から小口の投資家が群がり申込人は5万人に達した。募集倍率はロンドン11倍、ニューヨークで7倍もあった。
大成功だった。
是清は本国に頼んで、市場安定化用の公債購入の資金300万ポンドを確保して、価格が軟化しそうな時は日銀の口座で日本公債を買い支えた。公債発行業務にも手馴れてきたのである。
いつも辛口だった朝日新聞の論評である。
「第3回の外債は好条件である。都合の悪い時は小さく募集し、好条件の今回まとめて募集した。我が国は年度中の戦費を確保したのだ。愉快の情に堪えざるなり」
大きい時には2%以上もあった日露の公債利回りの差はいよいよ解消されて、この頃にはほぼ同じになっていた。
(挿絵・菊池倫之)
(題字・今泉岐葉)