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「Facebookはオジサン・オバサンばかり」は本当なのか=松本健太郎(データサイエンティスト&マーケター)

    フェイスブック本社前に掲げられた「いいね!」マーク
    フェイスブック本社前に掲げられた「いいね!」マーク

    データサイエンスは最強のリベラルアーツだと考える理由

    いきなりですが「データ」とは何でしょうか。

    手前味噌ですが自著『グラフをつくる前に読む本』から引用します。

    データとは、 “万国共通で、誰もが認識の齟齬なく、伝達・解釈・処理が行える表現として最適なものが「数字」です。……(略)……何らかの意味を持たなければ数字は「データ」とは言えないのです。……(略)……つまり、データは「数学」でありながら、「国語」の要素があります。どれだけ数字に強い人間であったとしても、数字が誕生した背景やどのような文脈で用いられているかを把握できなければ、トンチンカンな解釈をしてしまい、誤った理解でデータにふれてしまいます。”

    私のようなポンコツデータサイエンティストは、数字だけに着目して、文脈を理解せず、結果的に「言っていることはわかるけど、それどうやって実行するの?」「そんな予測モデル、当たり前すぎて使い物にならない」という分析結果を生みがちです。

    データは数学でもありながら、国語でもある。

    そんなある意味で「当たり前」のことを、『データサイエンス「超」入門 嘘をウソと見抜けなければ、データを扱うのは難しい』という本にも書きました。

    本書は次のように始まります。

    “この本は、データサイエンスについて学びたいと思っているけど、数学は苦手だし、なにより何から学んでいいかわからないと戸惑っている人のための超・入門書です。……(略)……本書のメインテーマは「テータの読み方」です。読み方といっても、1をイチと読むという話ではありません。データの特徴を理解して、背景に隠されている事象に想いを馳せて、データに違和感を覚え、時には現場に足を運び、データが何を表現しているかを読み解く作業が「データを読む」という仕事です。”

    データの特徴を理解して、背景に隠されている事象に想いを馳せて、データに違和感を覚え、時には現場に足を運び、データが何を表現しているかを読み解くには、数学が必要であり、国語が必要だと私は考えています。

    と、ご説明したものの、それって具体的にどういうこと?と考えている人も多いはず。

    そこで今回は次の事例をご紹介します。

    FBはオジサン・オバサンだらけ?

    私がFacebookを使い始めたのは2011年2月ごろでした。当初は20代〜30代前半しかユーザーはいなかった印象を持っています。それがいつしか、ご年配の方から友達申請を多くいただくようになりました。

    見ず知らずの50代後半の方から「おはよう〜今日も頑張ろう(≧∀≦*)/」と顔文字付きでメッセージが飛んできた経験も1度や2度ではありません。リアルでそんな挨拶をされたら全身の毛が逆立ちそうですがSNS経由であればよく見られるやりとりです。

    ただ、いつしか「Facebookはおじさんとおばさんしか使っていないからやりたくない」と若者から言われるようになりました。

    はたしてそれは事実でしょうか?

    「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」によると、2016年におけるFacebookの利用率は各年代で以下のようになっていました。

    図1
    図1

    20代が突出して高く、ついで30代、40代と続きます。

    この結果からすれば「FBはおじさん・おばさんだらけは間違い」だと言えるかもしれません。

    ただ、これだけのデータで判断してしまうのは「情弱」です。

    データの見方を変えてみましょう。

    このデータは利用「率」です。各年代の回答者に対してそれぞれFacebookを使っている割合を求めて計算しています。各年代の回答者数内訳は公表されていたので、そこから「Facebookを使っている数」を求めてみました。

    図2
    図2

    各年代の人数は均等ではありません。ちなみに2015年の国勢調査による総人口は各年代で以下のようになります。

    10代:1167万4千人

    20代:1263万3千人

    30代:1581万3千人

    40代:1861万3千人

    50代:1562万5千人

    60代:1831万1千人

    10代は40代の60%でしかありません。

    ちなみに今回の回答者数も、調査報告書によれば「13歳から69歳までの男女 1,500人を(性別・年齢10歳刻みで2017年1月住民基本台帳の実勢比例)、 全国125地点(都市規模×地域(11区分)により層化)、ランダムロケーションクォータサンプリングにより抽出」と書かれており、バランスよく抽出したら、こんな結果になったという具合です。

    各年代は「満遍なく」「均等」ではないのですから、単純に利用率で年代を比較するのは間違っているのではないでしょうか?

    回答者に対する利用者の数を見てみましょう。20代の119人と40代の108人、ほぼ同じ結果です。

    さらに、「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」はfacebookの利用者数を2012年からデータとして掲載しており、以下のような推移を見せています。

    図3
    図3

    少し見方を変えて、利用者の内訳にしてみましょう。

    図4
    図4

    今回のデータに限って言えば、2012年には10代〜30代が全体の80%弱を占めていました。しかしFacebookの利用者数が増えるに伴い、10代〜30代の割合が下がっています。ちなみに、この5年間でもっともユーザー数が増えているのは、40代〜50代でした。

    「Facebookはおじさんとおばさんしか使っていない」と言うよりも、どちらかと言えば「Facebookはおじさんとおばさんの利用が急激に増えているから、"ばかり"に感じる」という表現が正確ではないでしょうか。

    そもそもオジサンは何歳から?

    最後に、物の見方そのものを変えてみましょう。

    私は以前、何歳からがおじさんで、何歳までがお兄さんと呼べるのかを分析したことがあります。

    何歳を過ぎると「おじさん」に見られるのか?を分析してみた

    https://www.mm-lab.jp/statistical/how_old_is_the_age_that_looks_to_uncle/

    分析の結果、①20代前半から見れば一回り上は「おじさん」、②20代後半〜30代から見れば清潔感があれば30代後半でも「お兄さん」だけど、ヒゲがある・肩書きが付く等あれば同年代でも「おじさん」だとわかりました。

    つまり20代から見れば多少の違いはあっても、30代の大半は「おじさん」なのです(女性はおばさんと言えるかは不明ですが恐らくそうなのでしょう)。

    では、そもそものお題に立ち返りますが「Facebookはおじさんとおばさんしか使っていない」という意見は「誰」の目線、「誰」の意見なのでしょう。

    まさか、30代の感想ではないでしょう。おそらく10代か20代の意見だと思われます。だとすると、今まで何歳以上をもっておじさんおばさんとするかを定義しなかった分析自体を改める必要があります。

    ちなみに、データ元が違えば、調査結果が変わることは大いにあるので、この結果をもって言い切るのは難しいです。

    データを読む力はリベラルアーツだ

    自著『データサイエンス「超」入門』では詳しく書かなかったのですが、僕はデータを読むにはデータサイエンスだけでなく「リベラルアーツ」が必要だと考えています。

    そもそもリベラルアーツとは、言語(国語)に関する「文法」「修辞学(弁論術)」「論理学(弁証法)」の三学と、数学に関する「算術」「幾何」「天文」「音楽」の四科の合わせて7つの科目で構成されます。

    この由来は古代ローマ時代にまでさかのぼります。古来、技術は奴隷人が身に付けるべき「機械的技術(artes mechanicae)」と、自由人が身に付けるべき「自由諸技術(artes liberales)」に区分されていました。後者がリベラルアーツの大本になっています。

    奴隷人と自由人というのは物騒な表現に思われるかもしれませんが、これは土地を収奪し続けたローマの特性から生じたものです。吸収合併した土地に住む人が「奴隷人」、もともとローマの土地に住んでいた人が「自由人」だと考えると分かりやすいかもしれませんね。日本の江戸時代でいうところの「外様大名」と「譜代大名」の差みたいなものです。

    奴隷人は生きるために仕事をしており、だからこそ機械的技術(工芸などの技術)を必要としていました。一方の自由人は、生きるために生きていました。だからこそ「僕らはなぜ生きるのか?」という哲学が流行し、そのための基礎知識として自由諸技術を必要としていました(哲学は7科の上位に位置付けられています)。

    やがて中世以降、リベラルアーツは欧州の大学制度において「人間が身に付けるべき最初の芸術(=arts)」と見なされるようになり、今日では「学士過程における基礎分野を横断的に教育する科目」となりました。日本の大学では“一般教養”という名前で授業が開かれています。

    芸術と聞くと、絵画や骨董などを思い浮かべるかもしれませんが、欧米では、人の手によって作られたもの全般を芸術(arts)、神の手によって作られたもの全般を自然(nature)と分類します。この分類に準拠すると、絵画も音楽も歴史も法律も全て芸術となります。つまり、リベラルアーツは全ての専門知識の根幹を成すものなのです。

    何かを行おうとする際に、最初に必要な学問がリベラルアーツならば、専門的な技術である「機械的技術」はその先にあるものです。リベラルアーツがあってこそ、初めて専門知識を使えるようになるといっても過言ではありません。

    リベラルアーツでは三学四科を通じて、本質を見る目を身に付けます。例えば、月が満ち欠けするのは、月自体が消えたり生まれたりしているのではなく、地球の周りを回ることで影が生まれて欠けているように見えるだけです。満ち欠けは現象であり結果です。月の公転軌道は本質であり、原因と捉えられます。

    不変の「本質」と可変の「現象」を見極める――現象や結果にばかり目を向けず、原因や本質は何か、それを論理的に思考する能力を養うのがリベラルアーツなのです。

    だからこそ、データサイエンスにはリベラルアーツが必要なのだと考えています。

    「本質」ではなく「現象」にばかり目を向けるとデータの読み方を誤ります。そうした間違いを無自覚なまま犯してしまい無残な結論を垂れ流している人たちがたくさん居ます。

    松本健太郎(まつもと・けんたろう)

    1984年生まれ。データサイエンティスト。

    龍谷大学法学部卒業後、データサイエンスの重要性を痛感し、多摩大学大学院で統計学・データサイエンスを〝学び直し〟。デジタルマーケティングや消費者インサイトの分析業務を中心にさまざまなデータ分析を担当するほか、日経ビジネスオンライン、ITmedia、週刊東洋経済など各種媒体にAI・データサイエンス・マーケティングに関する記事を執筆、テレビ番組の企画出演も多数。SNSを通じた情報発信には定評があり、noteで活躍しているオピニオンリーダーの知見をシェアする「日経COMEMO」メンバーとしても活躍中。

    2020年7月に新刊『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)を刊行予定。

    著書に『データサイエンス「超」入門』(毎日新聞出版)『誤解だらけの人工知能』『なぜ「つい買ってしまう」のか』(光文社新書) 『グラフをつくる前に読む本』(技術評論社)など多数。

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