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週刊エコノミスト Online コレキヨ

小説 高橋是清 第98話 友情=板谷敏彦

(前号まで)

 露バルチック艦隊を日本海で殲滅(せんめつ)、戦況の趨勢(すうせい)は明らかになったにもかかわらず、日銀総裁は是清に3億円の公債発行を要求する。是清はクーン・ローブ商会のシフに相談する。

 明治38(1905)年6月16日。

 この日の朝、本国から3億円の公債発行を命令された是清は、午前中にヤコブ・シフの邸宅を訪ねて相談した。いや、相談というよりはお願いだ。

「高橋さん、それは無理だ」

 前回の発行からまだ3カ月も経っていない。日露ともども講和の話に入ろうかというこの時に日本はなぜ軍資金が必要なのか? 冷静なシフも腹立たしかったようで、少し語気を強めた。

「シフさん、日本政府は戦争を継続しようなどというつもりは毛頭ありません。

 しかし講和の談判が始まったからといって必ず円満に解決するとも限りません。

 また講和が決まるまでどのくらいの日数が必要なのかもわからない。講和談判中は休戦するが、日本陸軍20万人は満州に張り付いたままで、それでも軍費はかかります」

 説き伏せるように話す是清。

「講和談判が万が一破裂するようなことになれば欧米の人たちは失望することでしょう。そんな時に日本が、戦争が続くならば公債を発行したいといっても市場が受け入れてくれるでしょうか?

 ロシア政府内の主戦派は日本に戦費がないことを理由に勢いづいてしまい戦争はさらに長引くかもしれません。

 しかし日本が今のうちに戦費を調達しておけば、ロシアのそうした勢力も強くは出られません」

 是清一流の説得力のある言い訳だったが、シフは簡単にウンとは言わなかった。

夜を徹しての交渉

 次から次へと公債を発行することは、借金を重ねることだ。決して良いことではない。

 ましてや3カ月ほど前、今後1年分の軍資金といって3億円も公債を発行しているのである。

「高橋さん、あなたの国の国家予算は平年で3億円ほどだ。

 去年の今ごろは1億円ですら外債を発行できないような状態だったのに。今年だけで合計6億円、全部で8億2000万円にもなるのですよ」

「シフさん、もしも戦争が回避されて、この金が余ればそれにこしたことはない。余った金は、内国債の償還にあてて、もって産業の振興、金融の円滑化に使うつもりです」

 是清は自伝に、シフは「それはごもっとも」とすぐにでも納得したかのように記したが、実際は違った。シフはなかなか同意しなかった。

 粘る是清。夜も更けた頃、ようやくシフは決心した。深井は是清のことをよく知っているつもりだったが、それでもこの日の是清の粘りには感動した。

「高橋さん。根負けしました。やりましょう。

 で、どうせやるのならば早くせねばウォール街は夏休みに入ってしまいます。

 それに講和会議に入る前に日本政府が軍資金を手にしている方がよろしいでしょう。細かい調整はなしにして、ここは発行の諸条件は前回と全く同じとしましょう。

 すぐにロンドンの銀行団に可否を問い合わせてください。また、私がやると言っていたと伝えてください。

 私は、今回ドイツのマックス・ウォーバーグにも1億円分を担当させようと思います。彼らは資金的余裕があるでしょう。

 ですから、米国1億円、英国1億円、ドイツ1億円の配分です」

 是清はシフに深く感謝した。またこの日のミーティングで、シフとはこれまでのビジネス上のつながりだけではなく、お互いに深い友情が芽生えていることを意識した。

「シフはビジネスの限界を乗り越えて自分を助けてくれている」

 是清はそう感じたのだ。

     *    *    *

 翌17日、是清はロンドンの銀行団に電報を発した。返事はすぐに来た。

「銀行団は協議したが、何分予想外の発行、市場人気はかなり悪いものにならざるを得ない。

 しかし、どうせ発行するのなら夏休みに入る前にしたい。3週間以内に行うべきだから高橋はすぐにロンドンに来るように。

 なお現状モロッコ事件(ロシアの戦力が極東へ傾斜した日露戦争のすきをついて、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世がフランスに対してモロッコの利権の一部を要求した事件、フランスは圧力に屈した)で英仏はドイツに対して辟易(へきえき)している。ドイツの参加は容認しがたい」

 一方でシフは17日にハンブルクにいるマックス・ウォーバーグに参加を誘う電報を打った。

「ヴァールブルク様、米国から電報です」

 マックスが電報を受け取ったのは、皇帝ウィルヘルム2世の豪華ヨットの上だった。この日はハンブルクでのヨットレースの最中で、マックスはドイツ経済界の主要人物たちと一緒にレースを応援する皇帝一行に陪席していたのだ。

海上のシンジケート

 マックスが電報を読んで微笑むと、周囲の人たちから中身はなんと書いてあるのか聞かれた。

「アメリカからです。ドイツは日本に金を貸してやれないかと書いてありますぞ」

 周囲がざわつくと、誰かが言った。

「マックス君、ちょうど良いから、その電報は皇帝陛下にお見せしろ」

 マックスは電報を手に皇帝陛下に近づき、

「陛下、米国の親戚からドイツも日本のファィナンスに参加せぬかと誘われましたが、いかがいたしましょう」

 口元を緩めたウィルヘルムは静かに言った。

「やってやれ」

 この一言に周囲の人たちは快哉(かいさい)を叫び、マックスを取り囲んだ。

 もうロシアには用はない。戦争の継続はあきらめてもらおう。皆そう受け止めた。

 ドイツ銀行、ドイツアジア銀行、ドレスナー銀行、主要な13行の銀行のほとんどの幹部がヨットにはそろっていた。

「私も一口のりましょう」

 こうして、あっという間にヨットの上でドイツの銀行団のシンジケートが組成されてしまった。

 マックスはすぐにシフに返事を打電した。

「皇帝陛下も承認された。

 ドイツはいつでも準備完了」

 日露戦争は元々黄禍論に熱心なドイツがロシアをけしかけたようなところがあった。ところが最後に日本の公債を買うというこの裏切りである。ロシアはドイツから軍資金を借り、戦後は借金ばかりが残った。

 一方、ニューヨークの是清はロンドン銀行団からの返事を受け取った。

「シフさん、どうも英国の銀行団はドイツの参加を快く思ってはいないようです」

「高橋さん、それは無理もない。英国やフランスはドイツを警戒しています。ドイツは今、人口も増えて大きく成長中です。そのうちに英国の立場を脅かすような存在になるでしょう」

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

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