マーケット・金融 中国
テスト開始!デジタル人民元は米ドルに代わる基軸通貨となり得るのか=山岡浩巳
中国人民銀行(中央銀行)の易綱総裁が5月下旬、深圳、蘇州、雄安新区、成都、および2022年の冬季北京五輪の会場における「デジタル人民元」の試行実施を明言した。これらのテストはあくまでデジタル人民元の研究開発の一環であり、その正式発行を意味するものではないが、実際に試行を進めていることは当局の「本気度」を物語っている。
デジタル人民元の狙いは、国内の支払い決済のデジタル化にとどまらず、人民元のプレゼンス向上と人民元国際化の推進にある。国内のデジタル決済促進という趣旨であれば、中国は既にアリペイなどのモバイル決済の発展により、デジタル化が相当進んだ国になっており、それだけではデジタル人民元をあえて発行する理由にはなりにくい。
さらに、「必要に応じ当局が取引を把握できるようにする」という狙いもあるだろう。16年にデジタル人民元計画が明らかにされた際、その一つの目的として「脱税の防止」が掲げられているし、易綱総裁もデジタル人民元について、「制御可能な匿名性」を前提とすると述べている。逆に言えば、中国当局はデジタル人民元に、現金同様の匿名性を与えることは考えていないのである。
現金は「価値」以外の情報を持たず、発行者である中央銀行も保有者を把握できないという匿名性を有し、自由な経済活動を可能にする一方、脱税などにも使われやすい。デジタル人民元は中央銀行の債務であり、またスマートフォンなどを通じて1年365日・1日24時間決済可能という意味では現金と同等だが、脱税や不正が判明した場合、誰がどのように使ったのかが追跡可能な仕組みとされる可能性が高く、この点は現金とは異なる。
デジタル人民元のプロジェクトには中国の大銀行なども加わっており、銀行などを経由する「二層構造」の下での間接発行スキームが採用されている。中国人民銀行は、一般の人々に直接デジタル人民元を発行するのではなく、まず銀行などに対してデジタル通貨を発行し、これを受けた銀行などが、企業や個人に発行することになる。
貸し出し原資減少の課題
このような、預金類似の「二層構造」に基づく間接発行形態の採用は、技術面や経済面から考えても当然であろう。まず技術面からは、10億人規模の人々を対象に、ブロックチェーンや分散型台帳技術を使うデジタル通貨を直接発行すれば、ネットワークの拡大に伴い計算負荷が膨れ上がってしまうという「スケーラビリティー問題」に直面しやすい。
この点、二層構造を取れば、技術としてブロックチェーンを用いる場合も、計算負荷をかなり軽減できる。中央銀行は直接対峙(たいじ)するネットワークの範囲を銀行などに限定できるし、その先の個人や企業にデジタル通貨をどう供給するかは各銀行に委ねられるからだ。
また、中国当局はデジタル人民元に現金並みの匿名性を与えるつもりはない以上、この面からも、あえてブロックチェーンに基づくデジタル通貨を一般の人々に直接発行する意義は乏しい。二層構造としておけば、デジタル人民元を個人や企業に直接供給する銀行などに、預金と同様の本人確認などを求めることで、当局は必要に応じデジタル人民元の取引を預金取引同様に把握しやすくなる。
さらに、経済的な面からは、二層構造を取ることで、銀行や民間決済企業との共存を図ることが可能となる。中国当局としては、大銀行やアリババ、テンセントといった「ビッグテック企業」が中国にあることは、中国の経済的プレゼンス確保などの観点からも重要なのである。
もちろん、「二層構造」にも課題はある。最大の問題は、間接発行形態のデジタル人民元は預金との差別化が容易ではなく、国内で大規模に発行するほど、既存の預金との共存が難しくなることである。デジタル人民元として発行されたお金は預金とは異なり、貸し出しに回せないため、銀行の貸し出し原資を減少させてしまう。
このように、技術的課題が解決されたとしても、なお発行までに検討すべき点は多い。国内での大規模発行が現実には容易でないことを踏まえても、今回のテストの趣旨はあくまで、人民元のプレゼンス向上や国際化への貢献などを展望した、デジタル人民元の技術面の検証にあり、既存の国内預金やアリペイなどの民間電子決済サービスの駆逐を目指しているわけではないだろう。例えば、冬季五輪会場でのテストは、外国人訪問客に使ってもらうことが狙いの一つであることは明らかだ。
実際、易綱総裁は、これらのテストはデジタル人民元の正式発行を意味しないし、発行について現時点で特定のスケジュールも持っていないと述べている。このような易綱総裁の説明は率直なものであろう。開発の立場からすれば、中央銀行が真剣に決済インフラを作りたいなら、試行抜きで進めることはあり得ない。
コロナで高まる意義
それでも今回のテストは、新型コロナウイルス流行にもかかわらず着々と進められている。そして、新型コロナによる世界の変化は、中国当局にデジタル人民元の意義をますます強く認識させるだろう。もちろん、感染症対応としての経済のリモート化は、決済のデジタル化も促す方向に働く。もっとも、中国では既にモバイル決済が発達しており、この面で新型コロナが新たに大きなインパクトを与えているとは考えにくい。
むしろ、感染拡大の中、各国が一時的にせよ経済の統制化の色彩を強め、また大規模な財政支出を行っている点に十分留意すべきである。危機の最中には多額の財政発動の要求が高まるが、08年のリーマン・ショック時に各国で大規模な財政支出が行われた結果、数年後には欧州債務危機が起こり、財政が脆弱(ぜいじゃく)な南欧諸国が困難に陥ったことは記憶に新しい。
国際決済に広く使われる通貨であるほど、投機の攻撃も受けにくい。米国が財政赤字や貿易赤字を抱えていても米ドルが攻撃を受けにくいのは、米国が第二次世界大戦後に築き上げた「基軸通貨としての米ドル」というレガシー(遺産)があるからだ。最近では人民元安に悩む中国当局にとっても、人民元の国際的プレゼンスを向上させることで、その頑健性を強化したい意向は強いだろう。
また、グローバルに統制経済化の傾向が強まり、貿易相手国の選別色が強まることがあれば、中国も経済防衛の観点から、資源国などを含む自らの経済圏強化に努めざるを得ない。この中で、人民元が決済通貨としてのプレゼンスを高められるかどうかは、中国経済の中長期的発展を左右しうる。
中国は世界第2の経済大国でありながら、人民元の為替取引は世界全体(合計は200%)の4%にとどまり、米ドルの88%とは大きな差がある。デジタル人民元は決済コストを引き下げ、同時にマネーロンダリング(資金洗浄)対策などを取りやすくすることで、人民元の地位を向上させ、貿易や金融取引、国際送金などに使われる通貨にする、大きな戦略の中に位置づけられているのである。
(山岡浩巳 フューチャー取締役、フューチャー経済・金融研究所長)
(本誌初出 デジタル人民元の試験開始 「二層構造」で示す中国の“本気度”=山岡浩巳 20200714)